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「甘やかし」

 全く、何をやっているんだあいつは!
 ちっと思わず舌打ちを打ってずんずんと庭を歩く。船の上とは思えないほど広大な面積と緑を抱えた中庭を進めば、遠目に見かけた兵士が一瞬こちらを見やってからそそくさと視線を逸らした。
 元より他者との接触が多いとは言えないが、それでも目が合う前に潮が引くように遠巻きにされる光景に一瞬眉を潜め、それから重苦しく溜息を零す。苛苛を目の前にかかる前髪を掻き揚げると、一層眉間に皺が深まったのを自覚した。―――それもこれも、会議をすっぽかしたあの馬鹿のせいだ。
 殊更重要なものではないが、しかし疎かにしていいものでもない、それなりに大切な会議であったのだ。少なくとも、すっぽかしてよいような会議など現状であるはずもないのだが。それを、それを、あの男は、一応、非常に、誠に、腹立たしいことながら、軍師などという役職に、本来ならば切り捨てられても文句など言えようはずもない身の上のくせに就いておきながら、すっぽかすとは!!!

「柊め・・・っ」

 忌々しく吐き捨てて、乱暴に目の前の茂みに踏み入る。そもそも何故俺が柊などを探しに出なければならないのか。こんなことは風早辺りで十分だろうに、何故二の姫はわざわざ俺を指名するのか・・・彼女が何を考えているのかとんとわからず、はあ、と再び溜息を零すと、ふと眉間に皺の寄った視界に、萌黄の髪を木の影に見つけて一気に眦が釣りあがった。あの、馬鹿が・・・!

「ひいらっ」
「静かに」

 寸前で張り上げた声は、全てを言い切る前に柊の殊更静かな声に咄嗟に飲み込み不自然な言葉尻で立ち消える。ごく、と喉を鳴らすと、黒い手袋で覆われた指先をたて、柊は片目を細めて首を傾げた。
 その悪びれた様子もない態度に、カッとなんともいえない腸が煮えくり返るような心地がしたが、柊の足元にいる存在を認めたら、それこそ声など張り上げられようはずもなかった。
 顔を引き攣らせながらもむっつりと口を閉じた俺に、柊は愉快そうな笑みを浮かべると木漏れ日の差し込む頭上を見上げ、さらりと壊れ物を扱うかのように白銀の髪をすいた。

「忍人がここにきたということは、もうそんな時間になりましたか」
「・・・・あとはもうお前だけだ」
「そうでしょうねぇ。あぁ、会議などに出なければならないこの身が厭わしい・・・」
「軍師のお前がそんなことでどうする。非常に不本意だが、お前は一応、この軍の、軍師、なんだぞ」
「その前に私は我が姫の下僕ですよ。・・・折角こんなにも安らかにお眠り頂いているのに、起こさなくてはならぬなど身につまされる思いです」

 そういい、さめざめと嘆く姿はわざとらしいが、事、奴の足元で寝入る三の姫に関しては始終本気なのは重々承知しているので十割本心だろう。それはそれでどうかとも思うが、しかし相手が相手だ。滅多に、というよりもこんな無防備な寝姿を他人に、しかも空の上とはいえ何時何が起こるかわからない外で晒すなどと考えたこともなかった三の姫を起こすのは、確かに何か忍びなく思う。
 柊の、決して柔らかいとはいえない足を頭の下にし、聞こえもしない寝息をたてる姿は起きている時以上にあどけなく幼さを見せる。起きている時の、あの落ち着いた年相応とはいえない雰囲気はなりを潜め、そこにいるのは年相応の稚い少女。他人に隙を見せないというべきか、いや、王族として極当たり前の心構えとして、幼いながらも正直二の姫よりも分別のある三の姫が、いくら柊が、さらには水樹がいるとはいえ、外で、誰が来るともしれないこんな場所で、寝入る、などと。・・・それほど疲れていたのだろうか?むぅ、と眉を寄せると、三の姫の御髪に触れていた柊が、少しばかり眉を下げて吐息を零した。

「元より我が姫はまだ幼い身。体も二の姫ほど出来上がっているわけではありませんからね。疲労のたまり具合も我々とは違いますよ、忍人」
「・・・無理を、させていたか」
「しなくてはならない状況とはいえ、ここ最近はやたらと姫のご負担が大きい場面もありましたからね。ついつい日向に誘われてしまうのも無理はないとは思いませんか」

 暗に叱ってくれるな、と告げる柊に、眉間に皺を寄せるとふん、と鼻を鳴らす。

「三の姫はきちんと分別がついている方だ。ここで寝たのも、どうせお前と水樹がいたからだろう。いや、むしろお前が寝るように言ったのか」
「お疲れのようでしたから。けれど、仕方ありませんね。会議をすっぽかしては我が姫に叱られてしまいます」

 いや、叱る前に三の姫のことだから非常に申し訳なく思うだろう。容易く眉尻を下げて謝罪する姿が想像できて、その姿は見ている側としても心苦しかった。柊もそれをわかっているだろうから、寝ている姫を起こすことを選んだのだろう。自分が叱られるだけならば甘んじて受けるような男だからな、こいつは。
 でなければ、これほど穏やかに寝入る三の姫を起こすなど、この男がするはずもない。正直に言って、こちらとしても滅多に他者に素を見せない三の姫の安眠を妨げることはしたくはない。けれども仕方のない状況ということもあり、俺は溜息を吐くと踵を返した。

「おや、何処に行くんですか忍人」
「先に戻っている。俺がここにいては起きた後三の姫が居た堪れないだろう」
「それもそうですね」

 片眉をあげ、意味深に口元に笑みを浮かべる柊は、昔馴染みとはいえ非常に胡散臭い。こいつの胡散臭さは一体どういったことなのか・・・。何故よりにもよってこいつが三の姫の従者などに選ばれてしまったのか。過去のことを思い返すも腹立たしいことながら、しかしこれ以上の適任もいなかっただろうという思考も頭を掠める。むっとしながらも、最後にじろりと柊を睨みつけた。

「サボればどうなるか、わかっているだろうな」
「信用がないですねぇ。大丈夫ですよ忍人。我が姫を送り届ければ必ず行きますから」

 それまで適当に進めておいてください、と朗らかに笑う男に、はぁ、とまた大きな溜息を一つ吐く。
 お前がいないから始まらないんだ、と吐き捨てれば、柊はそれは申し訳ありません、とちっとも謝罪の意が感じられない空々しい文句を綴るのだ。
 ああ全く、本当に、どこをとっても忌々しい男この上ない!



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