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「ねぇ勇利。あんたバレエしてみない?」
亜麻色の髪のお姉さんが楽しげに眼を細めて言った瞬間、「勝生勇利」の心臓がどくん、と激しく鼓動を打った。
見開いた瞳に映る幼子に視線を合わせ、しゃがみこんだ体のしやなかな体躯。すっと伸びた背筋と子供を見る愛おしげな眼差しはいつか勇利に向けられていたそれで、胸に届いたのは懐かしさだったのか自覚だったのかわからない。けれどある意味、両親や家族以上に、「スケート選手勝生勇利」の傍近くにいただろう「彼」の「先生」に、私は母の足元の影から覗き見ながら、何とも言えない気持ちを抱いたことは確かだ。
どの道を選んでも親睦を深めることは可能だろう。私は・・・「僕」は彼女の後輩の子供なのだし、わざわざ後輩の家にこうして海外から戻ってきたその足で、恐らく実家に寄りもせずに顔を見せる程度には親しいのだから。彼女の傍らにあるスーツケースの存在に、よっぽど仲の良い先輩後輩だったのだろうなぁ、と思いながら子供らしく母の影に隠れて考えるように視線を斜め下に伏せる。それが恥ずかしさからの所作だと思ってくれればいい。「なぁに、人見知りー?」と笑う声に母が「ミナコ先輩が綺麗すぎたとかね~」と呑気な返答を返している。よし。
まぁ確かに彼女は美人さんなので当たらずも遠からずといったところだがこれでちょっと母の足に顔を押し付けつつ照れ隠しと見せかけて考える時間を稼ぐ。
勝生勇利にとって奥川ミナコという存在は非常に重要な人物である。記憶からさらうに、彼女がいなければそもそもが始まらないといってもいいだろう。勝生勇利の全ての始まりは奥川ミナコだ。彼女なくて、勝生勇利という存在の人生は動かない。
そんな重要なファクターを占める彼女をさてどうしたものかと考えるが・・・いや、だってあまりにも彼女の存在は勇利にとって大きい。ヴィクトルとは別次元で超重要なキーパーソンだ。
何より、彼女との師弟のような、ある種の親子のような関係性はただ切り捨てるにはあまりにも惜しい。こういう人材は人生において必要だと思うし、羨ましいとすら思う。
けれども・・・危険な目は詰むに越したことはないだろうな、とも思うのだ。奥川ミナコと紡ぐものは勝生勇利の根幹に関わる。彼がヴィクトルの目に留まった音楽性は彼女と出会って育まれたものだ。いやまぁ中身が私の時点でどうよ?と思うし、そこまで才能が発揮できるかどうか・・・。肉体スペックはあっても活用するのが私ではなぁ。あとバレエがしたいのかと言われると別にしたいわけでは・・・ごにょごにょ。
・・・うん。ここはまぁやんわり子供らしく拒否をして、諸々の初期フラグを折る方向で・・・。
方針を固めて、ごめんよ勇利そしてミナコ先生。と思いながら母の足に顔を押し付けながらそろそろと顔をあげて―――ヒュ、と息が止まった。
「・・・っぁ、」
「勇利?」
はく、と僅かに戦慄いた唇が、呼吸を忘れたように掠れた声を零す。ぐっと見開いた目で、怪訝なミナコ先生の顔を見上げて、はくはくと口を動かす。
「勇利・・・?どうしたと?」
頭上からの母の不思議そうな声が聞こえるが、それ以上に息苦しさに喉がひくりと引き攣った。母のズボンから手を放し、狼狽える視線から逃げるように胸を引っ掻くようにぐしゃりと握り潰して前かがみに俯く。
心臓が、悲鳴をあげている。
強く握りしめられ今にも潰されてしまいそうで、それに抵抗するかのようにどくどくと大きすぎる鼓動を打つ心臓が以上な稼働率で追い立てる。呼吸ができない、心臓が痛い。息苦しさと心臓の激しい動きに、一気に脂汗が浮かんできた。やばい。苦しい。なにこれ。脳内に酸素が回らない。くらくらする。待って、酸素、肺が、いや心臓が。
「勇利?勇利!!??」
「勇利、しっかりしなさい!!」
耳鳴りがひどく、周りの音がハウリングして耳障りだ。いや、これは血流の音だろうか、ザアザアと流れるノイズ音に似て、胸元を掴む手が白くなるほど強く握りしめ、その指先の感覚も痺れたようにおぼつかない。チカチカする視界に、崩れるように前のめりに膝をついた。
がつん、と両膝を打って痛いと思うのに、それ以上に心臓の痛みが全てを凌駕する。
「お父さん!!お父さん勇利がぁ!!」
「勇利、息をしてっ勇利ぃ!」
悲鳴が聞こえる。前のめりに倒れそうになった私を抱きとめた誰かが、ぺしぺしと頬を叩く。その衝撃に一瞬視線をきょろりと動かして、霞んで見える向こうにひどく焦った誰かの顔が見えた。あまりにぼやけて判別がつかない。お母さんなのか、ミナコ先生なのか・・・あぁでも、それどころじゃないな。
ザアザアという血流のノイズ音が、叫び声みたいだ。心臓は五月蠅く全速力で、激痛は容赦なく呼吸を奪っていく。あれ、これここでいきなりバッドエンド?早くない?一瞬そんな呑気なことを考えて、私の意識はゆっくりと闇に落ちて行った。
※
次に目を覚ましたのは、白い病室のベッドの上だった。
ふっと明けた視界に映る天井が見慣れた木目のそれではなく、ベッドのシーツもなんかパリッとしてて掛布団も肌触りもちょっと違う。何より鼻を通る臭いが家のそれではなく薬品混じりの独特のそれで、ぼんやりと病院かなぁ、と思考を巡らしながら周りを見れば、カーテンが四方を仕切った狭い空間で、あぁ大部屋の一角なんだなと辺りをつけて薄緑色のカーテンのドレープがやわやわと波打つの眺めていると、一際大きく動いたカーテンの向こう側から見慣れた顔がのぞいた。眼鏡をかけた丸顔の、愛嬌のある顔立ちをした女性。お母さんだ、と思うと、私はまだはっきりとしない意識のままでカッスカスの口を動かした。
「おかあさん・・・」
「っ勇利!起きたと?」
声をかけると母は眼鏡の奥の瞳を丸くして、それから心底安堵したようにくしゃっと顔を歪めるとそっと私の手を握った。大きな水仕事にかさついた手が労わるように小さな手を撫でて、よかった、と吐息のように囁く。その様子に大分心配をかけてしまったなぁと思っているよお母さんの後ろのカーテンが更に大きく、今度はいささか乱暴に波打って更に人影が姿を現す。
「寛子、勇利の様子どう?」
そういってひょこっと顔を見せた彼女は、目を覚ましている私を見つけると目を見張り、亜麻色の髪を揺らして勇利、と病院であることを気遣ってかいくらか控え目に名前を呼んだ。
それから一気に脱力感でも襲ったのか、がくっと肩から力が抜けて表情からもなんだか気の抜けた様子が伝わってくる。寄っていた眉間の皺が解けて眉尻が下がって、はぁぁぁ、と肺の中に溜まっていた酸素を全て吐き出す勢いでピンク色の唇からため息が零れた。
「よかった・・・目ぇ覚めたのね・・」
そういって前髪を書き上げるようにぐしゃりと下から救い上げて横に流して、彼女はお母さんの横に手をついてそっと私の頬に触れる。手をついた重みでぎしっと揺れたベッドの振動が伝わり、冷たい指先が頬を撫でる。確認するかのように丸みを帯びた頬を辿って、視線一杯でよかった、と告げる彼女に、私はいまだぼんやりとした頭と定かではない視点で、乾いた唇を戦慄かせる。
「ミナコせんせぇ・・」
「ん?」
声をかけられて、彼女が小首を傾げる。小さな声だったので聞き取り辛かったのか、顔を近づけてきた彼女は少し不思議そうな顔をして・・・後にこれが私が彼女を「先生」呼びしたからだと何かの拍子に知ることになるが、それはさておき私はいまだ霞みがかった思考でとろりと目を潤ませた。
「ぼく、ばれえ、したい、なぁ・・・」
見開いた眼差しに、言うだけ言った、とばかりに私の瞼は閉じてしまう。
それからすぅすぅと寝息を立てた私を、大人二人が鳩が豆鉄砲を食らったような顔で見つめていた。
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