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「銀盤カレイド5」

 勝生勇利という人間は、思った以上に執着が過ぎる人間だったらしい。いや、執念とも言うべきか・・・それともそうせよという抑止力なのか。壁半面が鏡となったレッスンルームでバーに捕まり屈伸運動・・・所謂プリエ、と呼ばれる動作を繰り返しながら溜息を零す。
 鏡に映るまだまだ小さい自分の手足はぷくぷくと肉付きがよくて、真っ直ぐに伸ばしても優雅だとか典雅だとか綺麗だとか艶めかしいだとかそんな表現が似合うはずもない。
 いやまぁこの年でその表現ができるのもどうかと思うが、まず見た目からしてアウトである。子供らしいぷくぷくのフォルムに同じく子供らしい丸顔。一般よりもやや大きめの目は多分母譲りなのだろう。ていうか私は母似だと思う。体型とか顔立ちとか、ご近所さんに言われるのは「お母さんにそっくりやねぇ」であった。今生の性別が男なのでそれはそれでどうなのかなと思うが、中身は女でもあるのでまぁいいかと流している。別に女顔というわけでもなく、ただパーツが父より母寄りというだけの話だ。
 その全身が映る大きな鏡を見ながらさらに視線をずらせば腕を組みながら真っ直ぐにこちらを見るすらっとしたスレンダー美女がいる。前髪をくるっと上に纏めて白い染み一つないおでこを晒して真剣な目でこちらの動作を観察している目がつい、と細められた。あ。やばい。


「勇利、集中。プリエが乱れてるわよ」
「ごめんなさい」


 言われて、改めて鏡の中の自分と向き合って体の動きを意識する。基礎的な動きを疎かにしては何にもならないことはわかっている。正直演目だとか踊るよりもこうした基礎練習をもくもくと反復している方が向いてるんだよな。
 鏡の中の黒髪に紅茶色の瞳をした少年を真顔で見つめて、しかしまぁ、なんでこうなる、と反復練習の合間に一瞬だけ目を遠くに向けた。
 まぁ全部勝生勇利のせいなんですけどね!バーを掴んでアラベスク。指先から足の爪先まで全てに意識を持って美しく。神経から細胞の一つまで意識しろとはミナコ先生の言である。難しいよミナコ先生。細胞とか意識できないよミナコ先生。
 あの日、あの時、あの瞬間。ひどい呼吸困難というべきか心臓発作とでもいうべきか・・・ともかく家族と初対面の人の前で「やっちまったな!」とばかりにぶっ倒れたあの事件は衝撃的だった。検査の結果、至って健康体と太鼓判を押されたこともある意味で拍車をかけたに違いない。あんな死にそうな・・・いやいっそ死んだと思うぐらいの苦痛と息苦しさだったのに、原因不明で処置無しの結果だ。両親も現場に居合わせたミナコ先生も「もっとちゃんと調べろ」と激昂するぐらいにはあの日の出来事は彼らの中でトラウマになっていることだろう。本当にすまんかったというしかない。いや私悪くないと思うけども。一応大きい病院にもいってみたけど結果は変わらず、私自身あれ以来発作のようなものを起こすこともなかったので、偶発的な何かで処理せざるをえなかった。原因不明だからしょうがないね。いつか成長したら問題が浮き彫りになるかあるいは医学の進歩で発見も可能かもしれないが当面はどうしようもないだろう。
 というか、恐らくこの体に健康障害はないと思われる。あれはそんな自分の体に直接起こる内部的な原因ではなくて、ある意味で外部からの干渉だと、誰に言えるわけでもないが私はそう考えていた。
 薄暗い病室。白いベッドの上。朦朧とした私の意識下で、私の意思とは裏腹に紡がれた言葉。あれを執着と言わず、なんという。確かに私は起きていたはずなのに。確かにそこに私の意識はあったはずなのに。あの後また寝てしまったらしいが、起きた後に母からそれを聞かされた私の身にもなってほしい。なんだそれ、である。そういえば言った気がする、と思いつつもやっぱりそんなこと言う気はなかったのに何故、と問わずにはいられなかった。いや実際問いかけたわけじゃないけど頭を抱えることぐらいは許してほしい。
 ミナコ先生から「あんな状態で第一声がバレエしたいとか、正気を疑ったわ」と言われた時には空笑いを返すしかないだろう。私もです、と言えればよかったけどお口チャック。まぁ、ある意味で正気じゃなかったんだろうなぁ。


 あの瞬間、きっとそれを望んだのは「勝生勇利」だったのだろうから。
 
 お前、ヴィクトル生かしたいと違うのか、と面と向かって言えるときがあれば言いたいぐらいに、なにしてんの、と言わずにはいられない。君がそう願ったから、望むから、こっちは君を犠牲にして、ある意味で日本フィギュアスケート界をも犠牲にして、「来るかもしれない未来」を変えようとしたのに、それだけはできないとばかりに口を出してくるとは。まぁ日本フィギュアとは言いすぎたかもしれないが、記憶を浚うに男子フィギュアの特別強化選手は彼1人だったので、まぁ、そこそこ大きい損失なのかなとは思う。最初からそんなくそ重たいもの背負いたくはなかったし、いないならいないでどうとでもなると思っているのでぶっちゃけ勇利の人生ほど重きを置いてはいないけど。人が1人いなくても世界はどうとでも回るから、そこは重要視しなくていいよねうん。
 さておき、人が色々考えてスケートという選択肢を潰していく覚悟を初っ端からへし折りやがって。ちっと打つ舌打ちは幼い外見に反して大人的だ。見られたら2度見される程度にはあまりよろしくない顔だったかもしれない。見られてないからセーフだよね!
 というかこの体は最早私のものだし、憑依だとか勝生勇利が生きている上で乗っ取ったとかそういう次元の話でもない。私という魂を突っ込んで生まれてしまったので、勝生勇利は存在しえないはずなのに、なんなのあの男は。人の意識下で意思に沿わない言動させるとかどれだけ執着してるの。それはスケートなのかヴィクトルなのかはわからないが、いやこれって結構ニコイチ的な感じだから、結局一つへの執着が過ぎるんだな。
 それともこれがこの世界の抑止力なのか・・・勝生勇利はスケートをしなければならないとかいう運命なのかな。それは逆らえなかったりするんだろうか。中身私なのに?溜息が止まらない。疲れた?とミナコ先生に聞かれて、少し考えてから首を横に振る。思考には疲れたが、肉体的にはまだイケル。大丈夫、と答えて再び練習に戻る。


「勇利は練習が好きね、ホント」


 普通こんな地味なこと好む人間は少ないわよ、と基礎練習ばかりを繰り返す私にミナコ先生が呆れたような感心するような声音で言うので、そうかなぁ、と首を傾げた。


「だって、基礎はだいじでしょう?」
「大事だけど、それを実践できる人間は少ないのよ」


 あんたのそれは才能ね、と笑われて、才能ねぇ、とぼやく。中身が成人越えた年代の人間なので、必要性がわかってるだけなんだけどな、とそう思う。
 あと。基本的に天才ではないので、馬鹿みたいに根気よく続けなければ身につかないことも知っているのだ。勝生勇利は才能があっても中村透子に才能があるかはわからない。だから馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返すしか方法がない。ただ繰り返すことに意味がないこともわかっている。ミナコ先生の言うとおり、頭のてっぺんから爪先、細胞の一つ一つまで意識して行わなくてはダメなことも。できるかどうかは別だけども。


「あぁそうだ、勇利」
「なに?」


 ターンの練習。軸をぶらさず真っ直ぐにしなやかに。これだけでも三半規管が物凄く鍛えられたので、前世に比べて成長した部分だなと思う。柔軟性には自信はあったが、今はそれが更に強化されたんじゃないだろうか。


「あんた最近レッスンばかりでしょ?偶には遊びに連れて行ってあげる」
「へ?」


 思わずターンと止めてぴたりと視点をミナコ先生に合わせると彼女はふふ、と笑った。
 亜麻色の髪を揺らしてグロスの引かれた艶やかな唇をぷに、と人差し指で押し潰す。肉感的な所作に大人の女性をみてポカンとする私に、彼女は鼻歌混じりに告げた。


「寛子からもあんたがバレエばかりで心配だって言われたしねー。好きなことを止めはしないけど、他にも目を向けなくちゃ」


 ・・・バレエのレッスンは、やる気がなかったからこそやるからには真面目に取り組まなくてはと思っていただけで好きかと問われると首を傾げるレベルなのだが。
 どちらかというとミナコ先生の所作だとか演目を鑑賞してる方が楽しいレベルだ。あとは、そうだなぁ。練習中は没頭できるから現実逃避に丁度いいというのもあるんだけど。けれども、それが子供らしくないといえばそうだろう。元々大人しく、聞き分けのいい良い子である。中身が中身なので年相応を演じるのも大変なのだ。幸いにもうちの親はおおらかな性格で、子供にちょっと盲目的なところもある。真利姉ちゃんも同様に、それが自分の弟だと認識しているせいか至って普通に受け入れてくれている。ミナコ先生も、多少不振がってもそれで何がどう、ということもないので受けいれてくれる程度には度量がある。恵まれた中で、偶に求められる子供らしさは全力で答えなければならないだろう。
 だから私は、にっこりと笑ってわぁい、と声を弾ませるのだ。


「ミナコ先生、だいすき!」
「はいはい。私も大好きよー」


 言いながら飛びついた子供をぶうん、と振り回して言う台詞だろうかそれは。まぁ楽しいですけど!!
 よもやセカンドインパクトがその後再び訪れるとは、想像だにしていなかったけれども。


 

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