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「桔梗さま」
触れた指先は冷たく、人の体温などというものはなく、ただただひんやりと冷えた土くれの感触がする。人の質感にも似た、けれど肉では有り得ないどこか硬さを帯びる手。細く白く綺麗な手なのに、それでもそれは生きた人の手ではないのだと思うと少し悲しかった。
弓を引くからかかさつく手を両手で握り締め、少しでも体温が移ればいいのにと思いながらどこか乏しい表情でこちらを見下ろす桔梗さまの整った顔を見上げてにこりと笑んだ。
「食事ができました。一緒に食べましょう?」
今日は桔梗さまが仕留めた兎を使った香味焼きだ。汁物も欲しかったので、簡単な茸スープも作ってある。白米は貴重だし、旅をしているのだからお米なんて早々手にはいらないから生憎お米の類はないのだけれど。人里に行けばいくらか恵んでもらえるのだけれど(なにせ桔梗さまは大層力のある巫女様だから)、ここ最近は人里離れた森の中を延々と歩いているのでそんなもの手に入れるのも難しいし。
あぁでもそろそろ人里に行かないとお塩が心許ない。他の調味料も減ってきているし、いつまでこの森が続くかは分からないが、そろそろ桔梗さまに人里に行かないかお伺いを立てないとなぁ。
そう思いながら、ぐいっと引っ張れば彼女は少し困ったような顔をして、引っ張られるままについてきた。
「透子、何度も言うけれど私に食事は・・・」
「でも食べれるんでしょう?なら食べてくださいよ。一人の食事は味気ないです」
桔梗さまは死人だ。仮の肉体である土くれの体に魂を補充する形で彼女はその体を維持している。いわば魂が食事のようなものだが、それでもどういう仕組みか、一応ものも食べれると聞いてからは半ば強制的に食事を共にするようにしてきた。だって一人で食べるとかマジ寂しい。しかも食事って、案外一人分だけ作る方が難しいのだ。なら二人分ぐらい作った方が無駄がなくて楽。
死人ながら感情が薄そうに見えがちだが、これで結構桔梗さまは子供に弱い。頼めば大抵のことは聞いてくれるので、本当にお優しい方なのだなぁ、としみじみと思うのだ。
最初は確か犬夜叉への憎しみで蘇ったんだっけ?まぁ、それでも憎しみの対象は犬夜叉であって、他者に向くことは(あぁでもかごめちゃんは別か。恋敵だし)ないので、基本の桔梗さまは優しい人だ。
それに、真実犬夜叉を憎んでいるわけでもないので、結局のところ彼女は生前と変わらないままなのだろう。彼女の生前を私は知らないけれど、多分今と変わらない気がするし。
「今日はですねー兎の香味焼きに茸のスープ、・・・汁物です。美味しくできたんですよー」
「・・・透子の作るものはどれでも美味しい」
「ありがとうございます」
折れた太い木の枝を椅子代わりに、焚き火がパチパチと燃え爆ぜる周りを囲んで鉄鍋の中のスープを椀に移し、木を削って作ったお皿の上に兎の肉を乗せて桔梗さまに差し出す。
受け取った桔梗さまはほんのりと口元をほころばせて微笑み、オレンジの明かりが照らす青白い顔がどことなく赤味を帯びているようにも見えた。あぁ美人だなぁ、と思いながら自分の分の食事をついで、両手を合わす。
桔梗さまも両手を合わせ、恒例の挨拶を口にすれば食事時は割りと雑談が多くなった。もっとも、基本的に話すのは私なのだけれど。
「桔梗さま、この近くに人里はありますか?」
「何か入用のものが?」
「調味料の類がそろそろ心許なくて・・・。あと薬とかもちょっと補充したいですし、桔梗さまの弓矢もそろそろ調整が必要なんじゃないですか?」
「そうか・・・そうね。確かに、そろそろ弓も新調するべきかもしれないわ」
そういって、傍らに立てかけていた弓矢を撫でる桔梗さまは思案深げに視線を落とし、次は人里に下りようか、とぽそりと呟いた。よしよし。これで色々不足しているものを補充できる・・・!いや補充できるだけの大きさのある村じゃないと意味ないんだが、それでも久しぶりに野宿じゃない寝床が欲しいしなー。
とりあえず、桔梗さまは村に下りることを承諾してくれたので、あれこれを入用のものを考えながら、ずずぅ、と茸のスープをすすった。・・・ふむ。
「・・・・ちょっと薄かったですかね?」
「いや。・・・丁度いい」
そういって、ほう、と桔梗さまが吐き出した吐息は、湯気の立つ椀の上を全て、ゆらりと白煙を揺らした。
桔梗さまは薄味が好み。あとこれぐらいがベスト、と。彼女の味覚を脳内メモにとりつつ、明日のご飯のリクエストを聞いてみる。少し考えるように小首を傾げる姿が、大層麗しいなぁ、と思わずにっこりと笑みが浮かんだ。
美女、万歳!
今日の更新
◎水鏡の花 水天の花編「流離う流星、虚栄の大地act2」アップ。
毎度のごとくで続きからレスです。
レス不要の方もコメントありがとうございました!
リュックサックにいれるのは治療道具に最低限の着替え、化粧水と乳液はあれだまだ肉体的に若いからって過信してはいけないのでしっかりいれておく。これでも中身はいい年なので、化粧こそしないけどスキンケアだけは大事だと思うんだ。化粧しなくていいのって本当楽だよね。眉毛整えてれば大丈夫大丈夫。
まぁリップぐらいはしますけどね。最近めっきりストレス溜まってきてるんですよ精神的苦痛半端ない。
あといれてるのは調理に必要な調味料とか長持ちする食糧とか、頼まれたインスタントラーメンとか。でもあいつラーメン好きだけど私が作ったものも結構好きだよね。
一通りの準備を終えて、重苦しく溜息を吐いた。・・・・行きたくないなー・・・。鬱々として、漫画的描写なら確実に顔に縦線をいれてるぐらい気落ちした様子で口を閉じたリュックサックをじと目で見下ろした。
行きたくない、本当に行きたくない。いっそあの井戸を埋め立ててやろうかと思うんだけどどことなく意味ないんじゃないかしらとか埋め立てるだけの資金なんぞねぇよとか現実的な面で妥協せざるを終えず、なんだか胃がキリキリと痛みを訴えた気がして軽く凹んだ。私、そのうち胃に穴があくんじゃないかと切に心配しているんですよ・・・胃薬のんどこ。
馴染みのラッパのマークのついた小瓶に手を伸ばしたところで、ふわりと部屋の空気が流れる気配を感じ、ぎくりと肩を揺らした。カラカラカラ、と、窓が横に引かれる音が背後から聞こえる。・・・・きーやーがーったーーー。
「おう、露。なにぐずぐずしてんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・色々と諦められない諸々とか胃の調子とか今後の憂いとかとにかく諸々のことで軽く欝ってたんですよ・・・」
「なにいってんだ?おめー」
最早諦めと相違ない死んだ魚のような目で、オワタ、と何度思ったか知れないことを再度認識しながら後ろを振り返った。正直これも何度思ったかわからないが、これが夢ならいいのに今でさえ思う。
私の混ざり気のない本音を吐露したにも関わらず、多分なんもわかっちゃいない青年の、理解不能、と書かれた顔で首を倒す様にどことなくあどけなさを感じる。
長い銀髪がそよそよとカーテンと一緒に風に揺れ、たわわな緋色の袖が窓の桟にひっかかって皺を作る。窓枠に素足で登り、しゃがみこんだままこちらを真っ直ぐと見つめる青年に、こいつがいるから結局井戸埋めても無意味そうだって思うんだよねー、と私は溜息を零した。
ぴくぴく、と彼の頭の上にある、髪と同色の毛に包まれた人ならざる獣の耳が、その溜息を聞きとがめたかのように動いた。・・・向こうにいったらあの愛らしい子狐と猫又に癒されよう。そうしよう。思わず硬く心に誓うと、青年・・・人と妖怪の相の子という数奇な運命をその身に宿した青年は、む、と眉を寄せて不機嫌そうにこちらを睨んできた。まぁ基本不機嫌そうな顔はデフォルトですけどね。
「人の顔みてなに溜息吐いてんだよ」
「いや・・別に。わざわざ迎えにこなくてもいいんだよ?犬夜叉」
むしろ来るなと言いたい。こなければそのまま私は平和な現代ライフを満喫できるというのに!思いは顔ににじみ出ていたのだろうか、犬夜叉は益々不機嫌そうな顔をして、器用に窓枠に座り込んだままふんぞり返って腕を組んだ。垣間見た指の先のいやに鋭利な爪がまさしく凶器であることが恐ろしいと思う。あれで人の肉も岩も家も破壊できるとか妖怪チート半端ねぇ。
「迎えにこなかったらおめぇ絶対来ないだろ」
「ソンナコトナイヨ」
「・・・あからさまに棒読みだったぞ、今」
視線を逸らしつつ堪えれば突き刺さる視線視線視線。ちらりと見ればじと目の犬夜叉に、私はもう一度溜息を吐いてリュックサックを背中に背負い込んだ。ずっしりと重たくなる背中がなんだか私の気持ちを示しているかのようだ。
「なんで、このポジションなのかねぇ・・・」
「あぁ?なんのことだ?」
「なーんでもない。ほらほら犬夜叉。皆待ってるんでしょ?ちゃっちゃと行くよー」
とりあえずお前一応平均男子中学生並の体重はあるんだろうから、いつまでも窓枠に乗るんじゃないよそのうち体重でばきっと壊れたらどうしてくれる。修理代払うのはあんたじゃなくてうちのママンとパパンなんだからね。
疑問符を浮かべる犬夜叉を窓枠から追い出し、窓を閉めて鍵も施錠する。しばらく別れを告げることになるだろう自室を見渡し、私はもう一度溜息を・・・・吐きそうなのをぐっと堪え、勢い良く、けれど最後は大人しく、部屋の扉を閉めた。
「・・・妖怪怖いよー」
ぶっちゃけ奈落とかどうでもよいじゃん、とか思うんですけど、ダメですかそうですか。うぅ、泣きたい、と思いながらも、しっかりちゃっかり玄関で待ち構えているお犬さまに、私は何度目かの腹を括った。
あの時代に行く度に括り直す腹は本当に、原作ヒロインに尊敬の眼差しを送るしかできないと思った。
かごめちゃんカムバック。
「透子ちゃん」
部屋でパラパラ絵巻物を眺めていると、入り口の方から快活な声で呼びかけられて顔をあげる。部屋と廊下の境界線で、逆光になりながらもにっこりと満面の笑みを浮かべている望美ちゃんに私はつられるようにして笑みを浮かべた。
「望美ちゃん?どしたの」
「うん、あのね。ちょっと一緒に出かけない?」
「今から?」
小首を傾げて、躊躇いがちに。そう問いかける望美ちゃんに目を丸くして、逡巡するように彼女から視線を外に向けた。太陽はもう中天を過ぎて大分傾き、そろそろ夕暮れ時も近づいてくるような時間帯だ。あまり出かけるような時間帯ではないだろう、怪訝に見やれば、望美ちゃんは部屋の外でパン、と手を合わせて懇願した。
「お願い、どうしても透子ちゃんと一緒に行きたいところがあるの」
「んー・・・まぁ、いいけど・・・」
夕飯までに帰れば問題はないだろうし、彼女もそこら辺のことはわかっているだろう。頑なに断るのもなんなので、多少気が乗らないながらも了承すると、望美ちゃんはパァ、と表情を明るくさせてよかった、と安堵に胸を撫で下ろした。私はその様子を見ながら絵巻物をくるくると巻いて元の状態に戻し、机の上に置いてからすくっと立ち上がる。ぱたぱたと張り付くスカートを叩いてから、てくてくと望美ちゃんの傍までいくと彼女は笑顔で私の手を掴んだ。
ぞくり。
「・・・っ」
「透子ちゃん?」
体中に、鳥肌が立ったような気がした。不思議そうに顔を覗きこむ望美ちゃんの顔を、反射的に凝視しながら、つぅ、と繋がれた手を見下ろしてごくりと喉を鳴らした。・・・なに、今の。
「どうしたの?」
「なんでもないよ。えぇと、どこに行くの?」
背筋に走った悪寒のようなもの。一瞬で緊張した筋肉に、心臓が嫌な音をたてる。なに、この、感じ。言葉で言い表せない不安感に視線をきょどきょどさせると、望美ちゃんの心配そうな顔が映って咄嗟に首を横に振った。私の下手な誤魔化しも、あえてそれに突っ込まないことを選んでくれたのか彼女はそっか、と微笑んでぐいっと私の手を引っ張った。正直、ありがたかった。ここで突っ込まれようものなら、なんと誤魔化せばいいのか苦労したことだろうから。
だって、なんというのだ。こんな、こんなこと。手を握られた瞬間。
彼女を、気持ち悪いと思っただなんて。
失礼すぎる、と望美ちゃんに手を引かれながら首を小さく横に振って溜息を零した。気持ち悪いって、かなり最低な暴言だと思う。でも、あの時感じたものは、なんだか、本当に、気持ちが悪かったのだ。今は全然そんなことないのに。変なの、と思いながら、何時の間にか邸から外へと出ていて、私はあれ?と首をかしげた。
「・・・皆は一緒に行かないの?」
「皆が一緒の方がいいの?」
「え?いや、そういうわけじゃないけど・・・」
でも、あんまり二人っきりで行動することはなかったように思う。振り返った望美ちゃんの透き通った翡翠色の双眸に若干怯みながら、言葉を濁しつついいのかなぁ・・・?と首を捻った。
いや、別に二人で出歩くのが嫌ってわけではないんだよ。むしろ女子同士として思う存分エンジョイしたいと思ってるんだよ。でも、ただ、そう、ただ、彼らに何も言わず、何も告げず、会いもせず。こうして二人で外に出るなんて、なかったから。何かしら、彼らはついてきていたものだから。
なにしろ彼女は神子様で、彼らは八葉で。護衛の意味もあって、基本的に出歩くときは誰かしらついてくるのが通説だったから。だから、今、この時間帯で。どことも告げぬまま、歩いていく彼女と共にいるのは、なんだか、ひどく違和感を感じた。・・・違和感、だった。
それがどんな違和なのか、わからないまま、私は引っ張られるように彼女についていき、そういえば、嫌に歩くスピードが早いと思った。いささか小走りになってしまい、咄嗟に望美ちゃんにもっとゆっくり、と声をかけたが彼女は急がなくちゃいけないの!というだけでスピードは緩めてくれなかった。
・・・そんな急がなくちゃいけない場所なのか?指定時間のある場所なのだろうか。それとも単純に急がないと夕飯に間に合わない距離なのかも。あぁ、それなら納得。そう思いながら、見慣れない場所をひたすら彼女について歩く。何時の間にか放されていた手は横でゆれ、彼女の背中を見ながらひたすらについて歩き、やがて辿り着いた場所は、どこかの河川敷だった。
五条・・・?いや、違うか。橋ないし。普通の河川敷に、沈みかけた夕陽が赤々と燃えて、河の色を真っ赤に染め替えていた。きらきらと反射する様も美しい。ほう、と思わず吐息を零しながら私は彼女を振り返った。
「望美ちゃんが見せたかったのって、これ?」
「うん。綺麗でしょ?河の色が真っ赤に染まって」
「確かに、真っ赤だね。すごい綺麗」
彼女が急いでいた理由はこれか。なるほど、確かに時間指定のある絶景ポイントというわけですな。空も川も家も全部赤に染めている光景は感嘆しか浮かばず、見惚れるようにじりじりとその色をなくしていくその刹那まで、食い入るように鮮やかな夕暮れを見つめた。
「・・・・こんなに綺麗なら、皆も連れてくればよかったのに」
それとも、皆は見たことがあって、私だけが見たことなかったのかな?だから、私だけ連れてきたのだろうか。思わずぽつりと呟いた言葉に、望美ちゃんは肩を揺らして、それからそうだね、と小さく頷いた。
「今度は、他の皆を連れてくるよ」
「それがいいよ。・・・じゃぁ、そろそろ帰ろうか?」
夕陽もベストタイムは過ぎたのだろう。最初にみたときほど赤くはならない周囲に、徐々に闇の帳が落ちてきている。変える頃には真っ暗になっていそうだなぁ、と思いながら彼女を振り返ると、私は口元に浮かべていた笑みを消して、ひゅっと息を呑んだ。
「ねぇ、透子ちゃん。知ってる?」
「・・・何を?」
ぞわぞわと、何かが背筋を這い回る感覚がする。可笑しい可笑しい可笑しい可笑しい。なんで彼女を見ると背筋の震えが止まらないのだろう。なんで彼女の声を聞くと逃げ出したくなるのだろう。なんで、こんなにも、彼女を、怖い、と。
「こういう時間って、黄昏時っていうんだって」
「あ、うん。そうなんだ」
「別の呼び方だとー・・・あれ?なんだっけ?」
「・・・・逢魔時?」
「あ、そんな呼び方もあるんだー。透子ちゃん博識!」
いや、一般常識とまでは言わないけど割と知られてることじゃなかろうか。にこ、と彼女が笑う。すごいすごいとはしゃいだ声で、彼女が、・・・・・・・・・彼女、が?
「でもねぇ、私が聞いたのはそれじゃないんだ」
「・・・・」
「誰彼って、いうんだって」
「・・・たそ、かれ?」
「そう。そこにいる彼は誰だろう。良く分からないって、そういう、明かりの乏しい時間」
誰彼の時間。濁ることのない音で、紡がれる言葉。
そこにいる人は誰だろう。顔が見えなくて、首を傾げる。すぐ近くにいるのに、その人の顔すらおぼろげになってしまうような。誰が、誰か、わからなくなるような、そんな、昼と、夜の合間の。
すぐ、隣の人の、顔、さえも。
「ね、透子ちゃんは、私の顔、見えてる?」
微笑んでいるのだろう、顔は。けれど、何故だろう。口元しか、見えなくて。釣りあがった口角が、嫌に赤く毒々しくて。わからない、と、口にしかけて、ふと、後ろを振り返った。
暗転。