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今日の更新


◎水鏡の花 水葬の花編 とうらぶネタ「芸能事務所の~」アップ。






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〔つっづきから!〕

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今日の更新

◎水鏡に日記と拍手小噺再録。

日記小噺はYOI。拍手はとうらぶのちゃんねる編のやつです。






〔つっづきから!〕

「銀盤カレイド9」

 HEY!世界の大舞台でぶっ倒れて方々に大迷惑をかけた張本人、勝生勇利改め中村透子だよこんにちは!
 まぁこうなることはわかっていたけどもうちょっと根性だしてインタビュー終わるぐらいまでは耐え忍ぶべきだったなって病院のベッドの上で思ったけどしょうがないよね限界だったんだもん!
 ちなみに目が覚めたらチェレスティーノからは心配と説教と褒め言葉とよくわからない比率で延々泣かれちゃっておまけに携帯のラインやメールや着歴がなんかすごいことになっててちょっと携帯を見るのが怖かったかな!
 まぁぶっ倒れたときにはバックヤードに引っ込んでいたし且つインタビュー前という奇跡的なタイミングでかろうじてお茶の間に醜態を晒すとまではいかなかったし、選手陣にもあまり知られずに済んだのが不幸中の幸いだったね!
 いやだってさ、滑走した後の選手が意識不明で病院行きとか普通にメンタルにくるじゃない。不可抗力であり自業自得でもあるが、いらぬ動揺を与えたかったわけじゃない。彼らには最高の舞台で最高の演技をして欲しいと常々思っているし、できればその姿を近くで見ていたかったなぁと思うよ。だって普通に生きてたらこんな場所でこんなことしてないからね。まさに今この人生だからこそできることである。できるなら客席ぐらいで他人事としてみるぐらいのポジションが望ましいが、無いものねだりは空しいので諦めるよ!
 この大会には知り合いも出てるし、ヴィクトルの演技はスケーターとして生でみる機会があるならぜひとも見ておきたい一品なのは間違いないし!他の選手だって世界最高峰のトップ選手ばかりだ。彼らの演技を見るだけで勉強になるし純粋に感動できるのがすごいよね。ほら今私スケート選手じゃん?前世ではスケートなんて「どこでジャンプの種類見分けるん?」「点数どうやってつけてんの?」って流し見程度の知識だったのが今生ではもうバリバリわかるんだよ?理解できるんだよ?技術力も然ることながら表現力とかもおおよそなんとなくわかるわけですよまぁこれは人生経験を経て歌って踊れるアイドル達のマジカルミラクル現象を生で見たこともあるからっていう経験値もあるかもしれないが。
 つまり理解できる、それだけでもう見る価値あり。むしろ必見見なくちゃ損。なのにそれを見られなかったのがとても残念だが、まぁ今回に関してはちゃんと生きているだけで儲けものだと思うので、我儘は言うまい。
 いやぁ、あの発作は毎回毎回自分死んだと思うぐらいの衝撃だが、今回は輪をかけて無理をした自覚があるのでペナルティで命掻っ攫われても可笑しくないなって今思ったよ。うん。生きてるってことはまだやることあんだろ?って言われてる気もするが。


「本当にバンケットに参加するのか?無理をしなくてもいいんだぞ、勇利」


 そんなこんなでこの大会で最後にこなさなくてはならないとみられる大仕事を迎えるため、フォーマルスーツをきっかりと着込んでホテルの廊下で心配そうに身振り手振りを交えて言葉を重ねるコーチに左胸に手を置いて心音を確かめ、うむ、と一つ瞬きをする。


「大丈夫ですよチェレスティーノ。医者からもどこも異常はないと言われましたし、僕も不調は感じていないので」
「だが・・・」


 にこ、と笑顔を浮かべればチェレスティーノは眉間に皺を寄せて渋い顔をする。まぁ、あれだけ大袈裟に意識を飛ばせば、診断上何もなかったとしても心配するわな。
 今までが健康優良児且つ怪我らしい怪我もしてこなかった生徒が急にぶっ倒れればそりゃ動揺もするというものである。滑走直前からちょっと可笑しいな、という様子は見られていたので、余計にチェレスティーノの責任感を煽ってしまったのも私の落ち度だ。
 もしも止めていれば、な事態にならなくて本当によかった。違うんだよ、人様にそんな糞重たいもの背負わせたいわけじゃないんだよ。本当ごめんねコーチ!
 一応検査はして貰ったが、相変わらず原因は不明のまま。体自体に異常がどこにもなく精神的圧迫感から解放された結果ではなかろうかというのが大本の診断結果だった。その曖昧な診断にでしょうね、としか返せなかった私と違ってチェレスティーノは不満そうだったが、昔もこういうことがあったと言えば、私のメンタルを心配されたものだ。結構図太い自信はあるんですけどねぇ。しょうがないよねぇ人1人の人生色々歪めてますものねぇ。たかが1人の人間の人生と言うなかれ。勝生勇利のポジションって日本フィギュア界にとって結構、いや割と大きいのである。ある意味日本スケートの歴史、もっと言えば世界のスケートの歴史にも関与する中々のキーパーソンである。小さいといえば小さいし、大きいと言えば大きいが、影響が少ないかと言われるとむしろ大きいに分類する程度にはそこそこの人物である。その人物の中身が私。そして私の行動によって左右される人物たちも若干名。うん。刀剣男士がやってこないかすごく心配である。
 でもまぁまだ来ないからきっと許されてるんだと思いたい。それにまだ大仕事が残ってるしねぇ。この仕上がり具合によって私の人生目標の達成度が変わるのである。超重要だ。


「まぁそれに、仮にもメダリストですから顔だけでも出した方がいいでしょうし」
「仮にもとはなんだ仮にもとは。全く、お前のその自己評価の低さだけは中々直らないな・・・」


 エキシビジョンも体調不良で出演辞退ということをやかしてしまったので(意識不明状態だったから仕方ないんだけど)これぐらいは顔を出さないと・・・新規スポンサーも見つかるかもだし。お金って大事。
 溜息混じりに言えば、チェレスティーノが器用に片眉を動かしてふぅ、と首を横に振った。咎めるような呆れたようなねめつける視線に思わず首を竦める。それ昔っからよく言われるけど、だって、ねぇ?


「・・・未だに自分が3位入賞したなんて信じられないんですよ、本当に」


 ぼそっと呟き、いやもう本当、なんでそうなった?と私は小首を傾げた。だって3位だよ3位。3位入賞銅メダル。表彰台に登れるんだよマジで?と目をかっぴらくのは当然じゃない?まぁ表彰式は銅メダリスト不在で終わったけど。折角の晴れ舞台にいなかったのが自分らしいというかむしろぶっ倒れてありがとうと言うべきか。だってそんなことになったら私多分緊張で死んじゃう。しかし昏倒して目が覚めたベッドの上でコーチに説教されながらおめでとうと言われた私の混乱具合半端じゃなかったからね?ハグされながら何かの間違いじゃないの?と真顔で聞いたら笑いながらメダル渡されてもう一回ベッドの住人に戻りかけたんだからね?
 鈍く輝く銅色の丸い物体にまさかそんなミラクルが起こるなんて誰が予想しただろうか誰もしてないよ!!最下位だと思ってた!だって勇利最下位だったじゃん!ミスとか色々あったし点数そんなに伸びないと思ってたしていうかそんなこと度外視してやってたし!!
 こんな現実受け止められないよ!!嫌だこれなになんの罠なの返還するぅぅ!!と思わず叫べばめっちゃコーチに心配された。ごめんなさい錯乱してました。だってメダルとか!世界規模のメダルとか!!!!嫌だわ私には超重いんですけどなんでこれ今私の手元にあるん??もっと相応しい人いるよね?え?私?私ですか??と三度混乱。
 震える手でそっとサイドボードに置いた私悪くない。恐れ多くて触れない。やだ、今素手だったよ手袋買わなきゃ・・・!
 そんなこんなで厳重にタオルとかで包んでスーツケースに収めて保管している銅メダルは今後どう扱えばいいのかと頭を抱える。国内大会のメダルと一緒に並べていいのかな?いや気持ち的にやりづれぇ。喜ぶ前に恐れおののく私にチェレスティーノコーチが「その反応謎すぎる」とばかりに首を傾げて笑っていたのが印象的だったが、これ私じゃないと絶対わからない感覚だよね。アスリートでありながら一般人というこの矛盾。本当精神的に疲れるわぁ・・・。
 そんな通常とは違う疲労感を噛み締めながら、ホテルのホールで開かれる豪華絢爛な慰労会にコーチを伴いぬるっと参入する。まさしくぬるっと、である。よく「何時の間に来たんだお前」と驚かれるぐらいには気配もなく存在を溶け込ませることには慣れている。逆を言えば存在感がないともいえるかもしれないが、余計な人に絡まれなくて済むから楽なんだよね。チェレスティーノという隠れ蓑があると尚の事私の隠密スキルは輝くのである。体格的にも隠れるからね!あ、矛盾してるなこの表現。
 ていうか勝生勇利の顔が整っていないとは言わないが(ていうか割かしイケメンの部類だと思ってる)華があるかと言われるとそんなことはない、と言える程度の顔である。
 少なくともそこらでシャンパングラス片手に談笑している外国産イケメン共と比べると地味なのは否めない。意図的に地味にしているのもあるが、着飾っても見劣りするのは自明の理だ。卑下ではないと言うよ。客観的にみて、本当に、率直に、私という目線から見て、勝生勇利は決してブサイクではないし年の割にいささか童顔が目立つ部分もあるがそれでもカッコいいと言っても差支えない程度の顔面レベルであることは認めても、それが例えばスイスのクリストフ・ジャコメッティだとか、ロシアのヴィクトル・ニキフォロフだとか、そういう面子の顔面レベルに見合うかと言われると系統も違うことながらいや無理だよね、と言えるレベルなのだ。
 氷の上と土の上では大分印象が違うからなぁ勇利って。氷の上では目一杯努力して咲いているが、地面に降りれば途端に蕾になっちゃう朝顔みたいな男である。
 ていうか勇利の場合、根本的に顔で見せてるわけじゃなくて空気というか雰囲気でイケメンを語るタイプなんだと思う。顔はそれほどじゃなくても「なんとなくあの人カッコいいよね」と言わせる空気というか?それで多分外国産イケメン共と並び立ってるんだと・・・いやすごくね?顔じゃなくて雰囲気で並び立てるってすごくね?
 現自分ながら過去の勇利よ。やっぱりお前どこにでもいるフィギュアスケーターじゃないって。雰囲気で世界のイケメンと渡り合えるってすごいよ。さすが魔性のカツ丼。
 人間ってものすごい美形よりちょっとイケメンぐらいの方が手が届きやすくて親近感持ちやすいんだよね。人間顔だけじゃないんだよ。
 でも今はそのキラキラアスリートオーラは完全に消してどこにでもいる一般人になっているので皆さん見事に銅メダリストをスルーである。別の場所で美女やらアスリートやら大手企業やらに囲まれてちょっとした人の山が形成されている金メダリストと銀メダリストに比べると大層貧相な有様である。ああーこれは別次元の生き物だわぁ。大変そうだなぁ。そつのない笑顔で談笑してる辺り慣れているんだろうが、あれじゃ食事を味わう暇もないだろう。このローストビーフ美味しいのに。もぐもぐ。
 勇利もこうやって人に囲まれてキラキラしてる彼らをみて違う世界の人間だとか思って酒をカッくらって悪夢のバンケットにしたんだなぁ・・・絶対避けねばならぬ。
 まぁヤケ酒呑むような理由もないしする気もないから問題ないけどさ。おかげでゆっくりと食事ができます。基本的にコミュ症というかやっぱりあんまり関わりたくないなぁという意識が強いので、必要以上に目立つ彼らには本当に大助かりである。ていうかヴィクトルとは接触する気はないからね。これさえ乗り越えれば最早ミッションはコンプリートしたも同然だ。頑張れ私もうちょっと!
 でもこっちもお仕事というか必要最低限の挨拶回りというのはしなくてはならないので(スポンサーとかね)それだけはちゃちゃっと済ませるけど。とりあえず皆銅メダルおめでとうの後に口々に「素晴らしい演技だった」とか「あんなに感動したのは初めてだ」とか「一生忘れられない演技だった」とか過剰にお褒めの言葉を頂くんですがそれ誰の演技です?皇帝さんとかエロスの権化とかと間違えてないかな?まぁ日本人お得意のアルカイックスマイルで聞き流しましたが。自分の演技みてないしなんなら滑り終わった後の周囲の反応もあの時は全く認識できていなかったから、正直自分と周囲の評価の温度差が半端ないなって思ってる。私どういう滑りしてたんだろう本気で。
 首を傾げなら嗜む程度のお酒で唇を湿らせ、ほどよく空腹を満たし、同じ日本人選手と時々会話を弾ませ(やっぱり過剰なぐらい褒められるんだが、とりあえず皆感受性豊かすすぎない?)うろり、と視線を泳がせる。さて、あと1人話をしたらさっさと会場を後にしたいんだが・・・。グラスで顔を隠しつつバンケット会場を見渡し、流した視線に引っかかった影にこくり、とシャンパンを嚥下した。・・・見つけた。けどすぐには行かない。様子を探り、周囲に警戒すべき人影がないことを確認する。よし、ロシアの皇帝はどこぞの美女と楽しく談笑してるや。ならば今がチャンス。グラスを通りがかったボーイに渡し、颯爽と歩き出す。するするっとほろ酔い気分の重役たちの間をすり抜け、ちょっとふらついたイタリアの女性選手を軽く支えて送り出し、勝生選手!とかけられた声にハァイ、と手を振って、ずんずんと近づいてその小柄な背中に声をかけた。


「こんばんは、プリセツキー選手」
「っお前・・!」


 声をかければ、お酒はまだ駄目だろうから中にジュースが入っていると思われるグラスを片手に、肩を跳ねさせて勢いよく天使・・・基妖精・・・基世界ジュニア王者のユーリ・プリセツキーが目を見開いた。肩書き多いなこの子も。
 にこ、と笑うと眉間に皺が寄せられて、片側が前髪で隠れているせいで片目しか見えない緑色の目が険しく細められた。眼付けられてるような顔だが、これが彼の通常だと思いたい。そうでなかったら嘘くさくても愛想笑いぐらい咄嗟にできるように指導しないと彼の今後が心配だ。世の中笑っていれば大概なんとかなるものである。


「世界ジュニア優勝おめでとう。それから、あの時は本当にありがとう。助かったよ」


 ほらあの時お礼はあとでちゃんとするって言ったからね。言ったことは守らねば。それが私にとって危ない綱渡りでも、あの時は本当に天の助けかと思ったのだ。彼がいなければ滑れなかっただろうし、滑れたとしても3位入賞などできなかったことは間違いない。今後ああして私が滑ることもないだろうし・・・本当に、彼には感謝してもしきれない。
 微笑みながらお礼を述べれば、彼は眉間にぐぐぐっと深い谷間を作ってぎゅっとグラスを握りしめた。・・・割らないよな?薄いガラス製品に籠められる握力に咄嗟にそんな心配が浮かんだが、彼はちっと舌打ちをしてそっぽを向いた。ふわっと動きに合わせて肩上で切りそろえられた細い金糸の髪が揺れ動く。


「・・銅メダリストがこんなところで何やってんだよ」


 顔を背けたままぼそりと問われて、こんなところでって、と小首を傾げた。飲み食いしてますが?・・・いやまぁ暗に文化交流してこなくていいのかってことを言っているんだろうけど。


「最低限は済ませてきたから大丈夫だよ」
「ふぅん。あいつらは忙しそうだけどな」
「周りが放っておかないタイプだからね彼らは。特にニキフォロフ選手なんかはそういうタイプでしょ」


 あんなに華がある人なら蜜に群がる虫のごとく人が寄ってくるだろう。大変だな、としみじみとして言えば変なものを見るような目でプリセツキーが私を見る。


「てめぇだって、」
「うん?」
「っなんでもねぇ!はっそうだな。たかが3位のジャパニーズとじゃ格が違うって奴だな!」
「本当だよね。むしろ3位であることも信じられないよね」


 いや全くその通りだよプリセツキー。私が3位って何かの事故じゃないかな。そういえば私の後の滑走者達のミスが目立ってたっていうし、本当に運が良かったんだなー。まぁそれも勝負の世界では重要なものだし、殊更に卑下する材料でもないけど。
 いささか不自然に台詞を区切って、挑発的に鼻で笑った彼にうんうん、と深く頷けば、彼は酢を飲み込んだような顔をして、ハァァ?!と声を荒げた。え、なんぞ?


「馬鹿かお前!そこは同意するところじゃねぇだろ!?」
「え?自分で言っておきながら何を」
「うるせぇ馬鹿!あんな滑りを見せつけておいてふざけたこといってんじゃねぇぞこの豚!」
「豚?!」


 え、そこまで言う!?ていうかそんなに太ってないし!むしろ今絶好調に絞ってるところだし!!・・・え、太ってる?思わず自分の腹部に目線をやると、ブァァァカ!!と更に罵られた。・・・プリセツキー。これ私だからまだ聞き流せるけど普通にほぼほぼ初対面の人間にこんな態度取ったら村八分にされるところだよ。勇利の記憶で君を知っているし、精神年齢ピー才の私だから苦笑で終わるんだよ。他の人にしたらマジダメだからね。


「てめぇなんかにメダルは似合わねぇんだよ!来年俺がシニアに上がったら、てめぇの首に下げるメダルなんかねぇからな!ユーリは2人もいらねぇんだよ!!」


 びしぃ!と親指を下に向けて言われて、一瞬ポカーンと目を丸くする。とりあえずこういう場所でそういう指の形はよくないな、と思うが言いきってやった!とばかりに鼻を膨らませて胸を張るプリセツキーは見た目相応で大変可愛らしい。口は悪いけど。
 えぇとここはなんて返したら正解になるのかな?困惑したようにきゅっと眉を下げ気味に曖昧に口元を歪めたところで、ユーリ!!と雷が落ちてきたかのようなしわがれた低音が鼓膜を震わせた。それにげっとばかりにプリセツキーの顔が嫌そうに歪む。


「お前は!他国の選手に向かって何を言っておるんだ!?」
「うるせーのがきた・・・」
「ユーリ!!」


 ぼそっと呟いた声に地獄耳かと思われるほど俊敏に反応し、咎めるように鋭い声が飛ぶ。
 視線を向ければロシアの名コーチと名高いきらりと光る頭頂部が眩しい・・・おっと失言。厳めしい顔つきに風格を漂わせた老人・・・ヤコフ・フェルツマン氏がずんずんと足音も高く近寄ってきていた。顔を赤くさせてキリリと眦を吊り上げて、ギン、とプリセツキーを睨みつける。


「ここはバンケットだぞ。口には十分気をつけろとあれほど言っただろう」
「あーはいはい。耳にタコができるぐらい聞いたっつーの」
「聞いていたなら実行せんか!全く・・すまない、ユウリ・カツキ。うちの選手が失礼をした」


 グラスで塞がっていない方の手で片耳を塞ぎ、説教など聞きたくありません、とありありと態度に出してプリセツキーがつんとそっぽを向く。それに更にヤコフ氏が眦を吊り上げたが、一つ深く息を吐きだすと気持ちを切り替えるようにぐるり、とこちらを向いた。
 思わず成り行きを見守っていた私は突然視線を向けられ、あまつさえ謝罪をされてドキっと心臓を跳ねさせる。おお、完全に油断してた・・・!


「あ、いえ。気にしていませんので。競技者ですから、これぐらい強気でなければ務まりませんよ。むしろ、これほど向上心のある生徒に恵まれて、ミスターも誇らしいのでは?」


 ふふ、と笑みを浮かべてそれらしいことを返しておく。まぁ口の悪さは難だと思うが、強気でいることも相手に絶対勝つという気概も競技者には必要不可欠な代物だ。
 私にはそれが欠如してるからなぁ。競い合うって苦手なんだよね。勝ち負けにさほど拘らない性質だし。あぁそういえばこれが終われば私がスケートを続ける意味もないし、辞めてもいいんだよなぁ。年齢的にはまだ早いような気もするけど、フィギュアスケートという競技から考えれば早すぎるというほどでもない。GPFの銅メダルだし、そこそこ綺麗な終わりじゃないか?今まで成り行き任せに(ていうかほぼ強制的に)勇利の人生を辿るようにやってきたが、本来の目的は離れたところで囲まれてる銀盤の皇帝を生かすことだ。ロシアの至宝。生ける伝説。彼を死なせないことが目的なので、このバンケットが無事に終わればおおよそのフラグはへし折ったも同然。その後、無理にスケートを続けるよりはさくっとやめた方がよりフラグも折りやすいというものだ。
 あぁでもまた発作が起きるのだろうか?それはそれでなぁ・・・いや、今回みたいに反抗しようと思えばできるのだ。いっそそれで入院生活になったとしても、あるいは、死んだとしても。・・・勇利の願いが叶うのならば、それはそれで一つの道ではなかろうか。


「そんなにいいことばかりではないがな。そういって貰えるとこちらも助かる。我が強い奴らばかりだが、来シーズンでは更に飛躍してくれることだろう」
「自慢の生徒さん達なんですね。来年が楽しみです――プリセツキー選手が皇帝を下すところ、見てみたいものですね」


 くすっと口元をゆるめて、故意的に細めた目線をうっそりと向ける。大人同士のやり取り、とばかりに滑る会話をつまらなそうに聞いていた彼が、その一瞬目を見開いて次の瞬間にはにぃ、と口角を吊り上げた。


「ったりめぇだ。あそこでへらへらしてる男も、てめぇも。俺が全員ぶっ潰す!」
「ユーリ」
「来シーズンは荒れそうですね。・・・では、僕はこれで。楽しい時間でした。また機会があれば」


 頃合いだ。会話に区切りがついたと見て、軽く会釈をして踵を返す。ヤコフ氏も頷き、プリセツキーはえ、とばかりに目を丸くしていたが気にせずに背中を向けた。
 当初の目的は果たしたのだ。今後関わることはそうないだろう。大会でも被らなければそれこそ接触などしないだろうし、私に関しては今後スケートを続けるとも限らない。
 うんうん。中々理想的に進んでるぞ。このままバンケットを去って部屋に戻ればミッションコンプリートだ!ふふん、と鼻歌を歌いながら足取りも軽くホールを突っ切ろうとした最中、ぞわっと背中に・・・いや、正確には、臀部に悪寒が走った。

「銀盤カレイド8」

『こんな時に伝えることじゃないと思うけど、でも言わなきゃきっとあんたが後悔するだろうから』


 冷たい携帯の温度越しに、静かな姉の声が鼓膜にゆっくりと浸透していく。あぁ、聞きたくないなぁと思いながら、やけに乾いた口の中でヒュゥ、と浅く吐息が漏れる。


『勇利、ヴィっちゃんがね、』


 どこか遠くで、愛しい君の鳴き声が聞こえた気がした。



 フリーの滑走順は前日のショートの順位で決まる。ちなみにショートの滑走順はポイントの低い方からになるので、運の悪いことにファイナルにギリギリで滑り込んだ私が第一滑走者となった。基準になりやすいから第一滑走者は不利だと言われやすく、そしてトップバッターなんて緊張感は余計こと演者への負担となりやすい。メンタルが弱い選手なら尚の事、だろうか。まぁ、比較対象がいないという時点では気が楽な気もするけれど。少なくともヴィクトルの後の滑走でなくてよかったとは思う。あんなリビレジェの後に滑るなんて死んでもごめんだ。まぁほぼ現状ではありえないことだからいいんだけど。
 だからといって楽しんでいこうぜイェア!!と開き直れるほど私は自分に自信はなかったし、強くもなかった。コーチのチェレスティーノが必死にメンタルケアはしてくれていたけれども、日本人舐めないでほしい。謙遜が過ぎた自虐が趣味に近い民族ですぞ!
 まぁそれと、このGPFは私にとって、いや勝生勇利にとって運命の一戦といってもいい。色んな意味で、この大会だけは他のどの大会よりも私の中で重要度を占めている。
 次のシーズンも大概だけれど、私にしてみればこの試合以上に意味をもつものは今後ないといってもいいだろう。おかげでジャンプミスが目立って最下位だったがな!!さすがに全ミスとまではいかなったし点数差だってほぼほぼないも同然ぐらいのどっこいどっこいだから巻き返しは可能な範囲内だけど、最下位な辺りに私を感じるわぁ。どか食いをして調整失敗とかまではしてないけれど、これは最早メンタルの問題である。
 勝生勇利とある意味でヴィクトル・ニキフォロフの運命のGPFだよ?ここが人生の分岐点といいますか私の目的を果たすためには外せない要素である。緊張するなって方が無理な話だ。
 異世界転生繰り返して諸々血生臭いことまでやってきた人間が言うことではないかもしれないが、まぁ、こういう晴れ舞台はそういった事柄とはまた別次元の話だ。そういう意味では他の選手に比べて豆腐メンタルと言われても仕方ない部分はあるだろうなぁ。
  国際大会での成績?うんまぁ、日本人の中ではよくても世界的にみたら目立つことは無いよね!
 まぁそんなことはさておき初のGPFで諸々個人的事情が山積みになってる中でよく滑れたものだと自画自賛したい出来である。チェレスティーノも「フリーで挽回できる範囲だ。気にするな」って背中をバシバシ叩いて鼓舞してくれたぐらいだ。このままうまくできればあるいは、という淡い期待は、しかしこれこそ予定調和と呼ぶべきなのか。
 歴史はなぞるものなのか、それとも抗い続けるものなのか、答えは出ないけれど少なくとも運命は従うことを望んでいるのかもしれない。


「はっ、・・・ぁっ・・・ぅぐっ」


 人気のない廊下の一角で、壁に爪をたてて大きく口をあけて酸素を求める。でもいくら吸っても吸っても足りなくて、きりきりと引き絞られる心臓の嫌な音が耳の奥で木霊する。あぁ、やっぱりか。ずるずると壁伝いに床に座り込みながら、苦しみからか痛みからか悲しみからか、ぐちゃぐちゃに混ざり合って混沌した様子を表すように、私の頭の中も蕩けたように思考が纏まらなくなっていく。支配するのは激しく、本来の可動域を越えて脈打つ心臓と、酸素不足にあえぐ脳味噌。痺れる指先に、耳の奥で木霊する誰かの哀切の悲鳴。何一つ自分の思うようにならない体に苛立ちさえ覚えて、喘ぐ口元でぐっと奥歯を噛みしめた。立てた爪がギリリと壁を引っ掻く。
 ぐしゃぐしゃに握りしめた日本のナショナルジャージの胸元の下。皮と筋肉と血管、たったそれだけに阻まれた下にある心臓が、これほどまでに厭わしく思うなんて!!
 悲しみが悲鳴をあげる。執着が怒号をあげる。ガンガンと打ち鳴らされる鈍い音が頭に響き、どっくんどっくんと暴れる心臓が私を追い立てる。
 ここで意識を失い倒れれば全てが水の泡だ。それなのに容赦なくそれらは私から自由を奪おうとし、私の身体を支配しようとその手を絡めてくる。やめてくれ!と振り払いたいのに、一切の抵抗を封じるように痛みと息苦しさが私を覆い尽くす。
 背中を丸め、脂汗を浮かせてまともな呼吸もできないまま、どうして、とぽたりと目尻から汗が滴り落ちた。
 自身の身体で影になった床の上にぽたぽたと落ちた水滴が滲んだ視界に映って、力なく拳を打ち付けた。勇利、勇利!いや、運命か、銀盤の女神なのか。誰でもいい。どれでもいい。滑らなきゃいけない。それは義務だ。責任だ。他者を蹴落として掴んだ場所だ。滑りきる責任があるし、返さなきゃいけない恩がある。わかってる、私が望んだのかと言われれば、そんなことはないと言うだろう。別に立ちたくて立ったわけじゃない。やりたくてやっているわけじゃない。流されるままの人生だ。勇利のための人生だ。そのための手段でしかない。約束で、希望で、希われたからに過ぎない。だけど、でもね。


 ―――決して、疎ましく思ってるわけでもないんだよ。


 勇利の神様だって、冷たい銀盤の上にいるのでしょう?ねぇだから、お願いだよ。早くこの体を返してよ。
 願うのに、望むのに。それでもそれはダメなのだというように、あの時と同じ鼓動の痛みが全てを奪っていく。あぁ、ねぇ、おねがい。やめて。だって、切欠が、あの子だなんて。ブラウンの毛色。円らな瞳が私を見上げて、小柄な体で目一杯飛びついてきた。可愛い可愛い愛しいあの子。知ってるよ。どれだけ悲しかったか。わかっているよ。どれだけ辛かったか。傍にいられなかった罪悪感。看取ってあげられなかった後悔。もう、傍にはいない孤独感。もっと何かしてあげられたんじゃないか。こんな大会投げ出して、帰って傍にいることだってできた。寂しくなかった?苦しくなかった?辛くなかった?あぁ、大好きなあなた。もういない彼の、大切な。
 でもそれは、もう「勇利」だけのものじゃない。
 そうだ、と目を見開いた。四つん這いになった床の上で、奥歯をギリギリと噛みしめて、自らの身体に爪を立てる。
 私は勇利だ。勇利は私だ。だけど、私の心は私のものだ。私だってあの子が大好きだった。今でも好きだ、愛してる。私の大切な、唯一の共有者。
 勇利。君がその悲しみで心を砕くのなら、それならば―――


「おい!どうした!?」


 唐突に、肩を掴まれてぐいっと引っ張られる。反動で捻った視界に、さらりと滑る、金色。あれ、天使?咄嗟にそう思った私は実は思ったよりも余裕があったのではないかと後で振り返った。今はそれよりも、フードを被った下の、まだあどけなさの残る険しい顔に、呼吸も忘れて魅入ることしかできない。険しく寄った眉間の皺。緑色の瞳は苛立っているようでその実心配そうに揺らいでいるのがわかる。白い面は透き通るようで、なるほど妖精とは言い得て妙だと思った。いやでも、まさか、どうしてここで。


「ユーリ、プリセツキー・・・?」


 乾いた口から掠れた声で名前を呟けば一瞬ピクリと眉を動かして、ちっと容姿に似合わない激しさで柄も悪く妖精が舌を打つ。ロシアンヤンキー、と脳内でテロップが流れると、彼は肩を掴んだ手をそのままに声を荒げた。


「こんなところでなにやってんだよ。具合悪ぃならとっとと医務室に行きやがれ!」


 乱暴な口調で、だけど私の顔色をみてか彼はもう一度舌打ちを零すとジャンパーのポケットに入れていた携帯を取り出した。あぁ人を呼ぶのかなぁ、と思った整えられた指先がスマフォの画面に触れた瞬間、さっきまで動かすのも苦痛でしかなかった腕が反射的にその手を握りしめた。


「やめて!」
「っあぁ?!」


 張り上げた声は思ったよりも大きく出た。あぁ、なんだ。私、声出せてる。
 突然動きを妨げられて、ぴしっと彼の米神に青筋が走った気がする。ドスの利いた低い声でなんで止める、とばかりに睨みつけられたが、臆する前に私は自分の体が、呪いのように締め付けられていた心臓が、目の前の存在に気を取られているかのように収まっていることに気が付いて、はっと息を零した。回らなかった空気が、今、全身に行き渡る。――――なんてことだ!


「・・・っありがとう!」
「は?おい、なんだてめっ!?」


 変態だとか不審者だとかキチガイだとか、そう思われても構わない!
 まだ発達途上の未成熟な細く小さな体に飛びつくように抱きしめて、その温かさを受け入れると深く息を吸う。動く。心臓はまだ五月蠅いし頭はガンガンするし手足はぎこちないし顔色は多分死人みたいに最悪だろうけど、だけど今、この体は、私の意識の統率下にある。それなら、私がやることは一つだけだ。
 最後に一度、縋るようにきつく抱きしめてから勢いよく体を離す。突然のことに呆気に取られたように険の取れた顔はあどけなく、ポカンと口を開けた顔は子供らしい。愛らしい顔に微笑んで、スパシーバ、と今度は彼の母国語で感謝を告げた。


「突然ごめん。あとできちんと謝罪するよ。それと、心配してくれてありがとう」
「なん、」
「――君のおかげで、私は滑れる」


 「私」が、滑れる時間をくれてありがとう。まだ乾いていない汗が顎先から落ちて、よろりと立ち上がる。まだふらつく足元で咄嗟に壁に手をつくと、彼ははっと瞬きをして正気に返ったように廊下に座り込んだまま、おい、と震える声で話しかけてきた。


「だ、大丈夫なのかよ?」


 大丈夫かそうじゃないかと問われたら大丈夫ではないけれど、それを言ったらこの少年をただ心配させるだけだろうし万が一止められたら困るので、そっと口元を持ち上げて微笑むだけに留めた。それに何を感じたのか、ひゅっと息を止めた彼に目を細めてその横を通り過ぎる。足元はおぼつかない。心臓は暴れてる。頭がガンガン痛むし、全身の倦怠感なんて今から滑るのにまるで滑り終えた後みたいだ。
 あぁ、でも、いいね、初めてだ。これだけ絶不調で多分滑れても大した結果も出せそうにないけど、それでもこの時間は勝生勇利のGPFじゃなくて、私の、私だけの4分30秒になる。―――それを申し訳ないと思うけど、だけどごめんね。今日この時の、このスケートだけは、私に頂戴。君が悲しみに暮れるのなら、喪失に嘆いて滑れないのなら、どうかその時間を、私の私情に使わせて。


「勇利!どこに行っていたんだ?もうすぐ6分間練習が始まってしまうぞ」
「ごめんなさいチェレスティーノ。少しトイレにいってて」


 いなくなった私を探していたのだろう、額に汗を掻いたチェレスティーノコーチが、大仰に声をあげて少しだけ咎めるように目を細めた。
 それに眉を下げて殊勝に告げれば、彼は私の顔色を見咎めたように眉を動かしてそっと浅黒い手を伸ばして頬に触れた。


「勇利?本当に大丈夫か?顔色がひどく悪い・・・それに汗もこんなに。一体どうしたんだ?」


 もしも体調が優れないようならば、と言いかけた彼の手を取り、ぐっと強く握りしめる。一旦言葉を止めて、チェレスティーノは私をまじまじと見下ろした。


「勇利・・・?」
「大丈夫です。緊張、してるだけだから」


 心臓がまた騒ぎ始める。迫る時間。リンクの冷たい温度が頬を撫でる。少しだけ顔を俯かせて、きっと彼を心配させてしまうなと思いながら、するりと手を放した。
 ジャージのジッパーを降ろして、外したエッジケースと共にチェレスティーノに押し付けてリンクサイドに寄る。他の選手はすでに近くでスタンバイしていてその様子を眺めて、ふと一番目立つ存在に目を止めた。
 こちらを見もしない、紫色の衣裳を纏った銀色の皇帝。周りなんて気にしない。多分興味もさして持っていない。孤高の王様。氷の上の神様。――勝生勇利の、最愛。
 とくり、と心臓が跳ねて、ふっと笑みが零れる。だけど、私のこの世界の最愛は、違うヴィクトルに捧げてる。うん。ならまぁ、関係ないか。――今、この瞬間だけは。
 アナウンスが流れる。飛びだして入り乱れれば、それぞれの動きが見える。氷の感触を確かめて、ジャンプを確認して、動きを確認して。イメージする。自分がうまく出来たときのこと。文句のつけようもない滑りができたときのこと。わっと歓声があがる。誰かがジャンプでも飛んだかな。ちらっと視線をやれば銀色の彼だった。ああなるほど。見惚れるほど綺麗なスケーティングだ。それを涼しい顔してこなすのだから、恐れ入る。
 見入ったようにとくとくと一定の音を刻む心臓に単純だなぁと思いながら、こっちもジャンプの体勢に入る。跳んで、あ、回転足りない。着地は、まぁまぁ。
 うん。大丈夫。跳べてる。滑れてる。でもまだ体が動きづらい。今は静かでも、多分この心臓はもう一度暴れるだろう。けれど、譲らない。どれだけみっともない姿を晒しても、惨めな形で終わっても。


 この時間だけは、譲らない。
 
 練習時間が終わって、他の選手たちがリンクサイドにはけていく。残るのは第一滑走者の私だけ。SPもFSも一番なんてほんとついてない。まぁ今回のは実力だから仕方ないけど。籤運だけはなぁ。勇利の籤運ほんとないわー。
 フェンスによって、そこで待っているコーチに視線を向ける。息が荒くなる。あぁ、頭が痛い。指先が痺れていく。心臓、煩いなぁ。


「勇利、大丈夫だ。お前のスケートをしてくればいい。自信を持って滑るんだ」
「・・・チェレスティーノ」


 励ますように肩に手を置いて、真っ直ぐに視線を合わせるコーチにひたと目を合わせ細い声で名前を呼ぶ。うん?と優しい声で相槌を打たれて、ふわっと手を伸ばした。


「――ごめんなさい。「私」が滑ることを、どうか許して」
「ゆうり・・・?」


 首筋に縋りついて、その肩口に顔を埋める。戸惑う様子に(そりゃそうだ。私がこんな態度を取ったことは今まで一度もないし、ハグを自らすることもほぼない)すり、と頬を寄せて、泣きそうな声で許しを請う。譲れないから、これだけはどうしても伝えたいから、「勇利」でないことを、今この時だけは見逃して。それは勇利に向けているのかそれとも世界に向けているのか運命に向けているのか、自分でも判別がつかないままただ目の前のコーチに押し付けている。
 本当は、歴史に沿うべきなのだろう。言われるがままきっとこの心臓の暴れるがまま従えば寸分違わない確定した未来が待っているはずだ。だけど、私はそれを足蹴にする未来を選ぶことに決めた。あの子のために、私がしたいことがあるから。
 今まで勇利として滑ってきた。私じゃなくて、勇利としてスケートを周囲に魅せてきた。物語を、解釈を、感情を。そこには、多分私の感情なんて入ってなかったと思う。
 演じる登場人物として為りきっていたと思うし、そうあれるようにしてきたつもりだ。できていたかは知らないけど。自分をさらけ出すのは怖かったし好きじゃないし恥ずかしいし、あとよくわからないし。芸術って難しいんだもの。
 それに、決めていた。私の第一目標はヴィクトルの生存で、第二目標は勝生勇利よ愛を知れ、だ。周囲の愛を自覚して後悔して欲しかったから、周囲にむけて滑ってきた。自分のためのスケートではなかった、と思う。だから、それも含めて許して、だ。
 皆のスケートを、今日この時だけは、私だけの、私的な目的に使ってしまうことへの。しかもこんな大舞台でやらかすのだ。まともなスケーティングもできない可能性があるのに、それをやろうというのだからとんだ大馬鹿者だ。
 勿論、そんなことチェレスティーノには伝わらないだろう。わかるはずもない。それでもいいと思っている。意味不明な謝罪に、時間切れでリンクに戻ることを考えているとぎゅっと、背中に腕が回された。息を呑む。


「――あぁ、許す。行って来い、勇利」
「・・・っはい!」


 許された。意味もわからず。理由も知らず。メンタルが不安な選手の戯言だと解釈されていても。それでも許された。許してくれた。ああほら、勇利。君のコーチは、なんて優しい愛に溢れた、素晴らしいコーチだろう!
 これ以上ない笑顔を見せて、リンクの中央に滑り出す。ポジションを決めて、音を持つ。心は悲鳴を上げている。やめてよ悲しいよ。辛いよ苦しいよ。心臓が痛い。体は重くて、顔色は悪いまま。だけど、知らない。知ったことじゃない。私はここで、愛を叫ぶよ。


『ユウリ・カツキ。ジャパン。曲は――』


 ヴィっちゃん。大好きで大切な、私のたった1人の秘密の共有者。
 君がいなくなってしまったこと、もういないこと、傍にいてくれないこと、いてあげられなかったこと、全部が悲しくて、苦しくて、辛くて、後悔ばかりが胸に迫るけど。出会わなければと、思わないこともないけれど。
 音が聞こえる。滑り出す。両手を広げて、指先まで神経を通わせて。氷が跳ねる。エッジが氷を削る音。好きだな、この音。うん。好きだ。
 だけどね、どうしてかな。今ここで伝えるなら、声に出していいのなら、きっと私は、こう言うよ。


 愛してる。だからどうか、安らかに。


 ありったけの愛と感謝をただ君に届くように滑るから。ただそれだけを籠めて滑るから。悲しみも後悔も喪失も、今この時だけは必要ない。君に届けるのは、この溢れんばかりの感謝と愛。両手いっぱいのそれを花束に、君に贈るよ。結ぶリボンは、ちょっとだけ寂しさを纏わせるけど、それだけは許してね?
 あぁ、可愛い君。大好きなあなた。秘密を言い合える子がいないのは寂しいな。だけど一緒にいれて楽しかったよ。嬉しかったよ。癒されたし、優しくあれた。
 あ、ジャンプミスった。うん、でも流れは止まってない。ステップ、ここは得意。君と遊んでるみたいだね。楽しいな、ヴィっちゃん。心臓、煩い。体、重いな。腕、上がらない。次、うん、決まった。頭いったい。ガンガンする。倒れないかな。転倒だけはやったら動けなくなりそう。それは断固回避。うん。いける。決まった!はは、やればできるじゃん!コンビネーション、あー回転不足?くっそ。ははきっつい。後半に持ってくるの辛いわ―。しかも体調悪いし。心臓の動き方半端ない。破裂しそう。頭ガンガン叩くのやめて。勇利、うるさい。泣くだけなら帰ってでもできるでしょ。目の前真っ白になるじゃないか。でも音楽だけは聞こえてる。まぁ聞こえてなくても滑れるけどね!フライングシットスピンからコンビネーション。くるくる回る。そういえばヴィっちゃんも自分の尻尾追いかけてクルクル回ってたなぁ。可愛かった。あれ動画に残ってるな。後で見返そう。ふふ。あぁ、本当に、


 大好きだ。


 ピタっと止まって、全ての音が消える。自分の呼吸音と暴れる心臓の音。なんてことをと叫ぶ誰かと、ありがとうと囁く声と、わん、という鳴き声。全部消えて、冷たい銀盤に1人。あぁ、何も聞こえないなぁ。
 何か周囲が騒いでいる気もするけど、まぁいいや。レベランスを決めて、リンクに投げ込まれる花やぬいぐるみを拾う。機械的な動きだ。だって疲れた。すっごくすっごく疲れた。死にそう。てか死ぬ。だって終わった瞬間から心臓の爆走加減半端ない。今息できてる?わかんない。できてないかも。茫洋してリンクサイドに戻れば、待ち構えていた人影に力いっぱい抱きしめられる。待ってエッジカバーつけさせて。いやその前にこれ誰。あ、チェレスティーノだ。ソーリー。うん?ごめん、何言ってるか聞こえない。今心臓の音しか聞こえない。痛い。苦しい。ヤバい。どこかに連れて行かれる。どこかっていうか、あ、キスクラ?得点?そっか。でも今何も見えないわ。滲んでる。視力とかいう前に今多分酸素不足でホワイトアウトに近い気がする。やっべぇわこれ。何度も言う。やっべぇわ。
 得点?あ、出たの?だからごめんて今何も聞こえないんだって。すっごい抱きしめられてるね。苦しいよ。これ心臓のせい?頭のせい?コーチのせい?どれ?わかんない。
 インタビュー?あそこ行くの?そっか、うん。ごめん。


「無理」


 運命を捻じ曲げた代償が大舞台での昏倒とか、大恥にも程があるわ。


 


 


 

「銀盤カレイド7」

 僕の名前は勝生勇利!九州の片田舎にある長谷津という小さな町で優しくておっとりした両親と淡泊だけどやっぱり優しい姉と育った太りやすいのが偶に傷、豆腐メンタルもやっぱり傷、スケート愛とヴィクトル愛だけは誰にも負けないどこにでもいる男子フィギュア特別強化選手だよ!――という名前の分厚い皮を被ったどこかにはいるかもしれないけど多分早々いないだろうなっていうぐらいには特殊な経験を重ねている年齢不詳の女、が正しい実態である。あといつも思うが「どこにでもいる特別強化選手」ってなんなの。どこにでもいないよどこにでもいたら今の日本の男子フィギュアは低迷期とか言われてないよ今現在日本で唯一の男子特別強化選手とか世界で唯一戦えるスケート選手とか言われないでしょわかってるの勝生勇利。
 そしてそのポジションに勝生勇利in私という状態なのになってることがどれだけ日本の男子選手層うっすいの!!と吠え立てたいぐらいだった。女子はあれだけ煌びやかなのに!!世界上位に何人かは絶対いるし次世代だってぽこぽこ育ってるのに男子はなんでこんなに伸び悩んでるの!!!ちょっと日本スケート連盟もうちょっと金出して選手層を厚くする努力しろよ先進国でしょうがもっと選手の負担軽くしてくれませんかねぇ?!
 1人て!!1人って!!ねぇそれで潰れてきた選手どれだけいると思ってるの?期待っていう重圧の重さ半端ないのよ?そのくせ期待に応えなかったらマスコミの批判ってきっついよね!あと名前も知らない批評家気取りの一般人も辛辣だよね!!応援したいのか潰したいのかどっちなんだよ!!日本人ってそういうところあるよねー!同じこと繰り返しちゃうよねー!ああぁぁぁぁぁあああああやってらんないよ!!
 思わず手に持っていたビーズが入ったもちもち低反発加減が癖になる子豚ぬいぐるみ掌タイプをぎにゅううぅ、と握りしめて可哀想な形にしてしまうぐらいには憤っているが、まぁそれらも今更だしぶっちゃけ気にしててもしょうがないのでその辺はまるっとさくっと無視しているのが通例だ。まぁ多少は気になるけどしょうがないことなのよねこれって。大丈夫、病むほどの精神はしてないし殺されるほど酷いこともしてないしされてないから問題ないない。いざとなれば辞めればいいからね!そうすれば人間の記憶なんて風化しちゃうからすぐに話題にも上らないよ!なんて色々考えながら精神的安定を図っているわけだが、いやもう本当にまさかここまで来るとは思わなかったんだよ・・・。
 ホテルの一室でもちもちぬいぐるみをにぎにぎと握りしめながら、深い深い溜息を零す。あの氷の上の事件から十年余り。諦めてスケートを始めたのはいいものの、まさかの男子フィギュアスケーター特別強化選手の座を射止めちゃうなんて、思ってなかったんだよ・・・。
 だってそうじゃん?考えても見て。勝生勇利は確かに自分に自信がなく自己評価が底辺スレスレの選手としてどうよそれ?ってぐらい豆腐メンタルボーイだったが、それでも競技選手らしく負けず嫌いでプライド高くて何よりスケートが大好きな選手だったのだ。
 そういう人間が努力を重ねて上に立つのはわかる。身体的にも環境的にも割と恵まれてた人だったし、そもそも向上心が半端ない。彼には高い目標があったからというのもあるだろう。だからまぁ「勝生勇利」がこの位置にいるのは必然と言い換えてもいい。
 だがしかし。私は違う。勝生勇利の身体的スペックと同じ環境を得ていても中身が違えば結果が違うことなど当たり前ではなかろうか。言っておくが私は勇利ほどスケートに情熱は注いでいないし、丸くて金色のそれにそこまで執着心はないしそもそも高い目標すら立ててるわけではない。あ、別の意味で人生の課題は抱えているが、それこそそれを達成するためにはむしろ特別強化選手などなるべきではなかっただろう。
 だというのに!だ・と・い・う・の・に!!!決して順風満帆でもなければ勇利と同じ人生を歩んだわけでもないのに特別強化選手に選ばれ、尚且つ今!まさに!グランプリファイナルへの出場を決めちゃいました待って可笑しくない?!
 才能・・・は多分勝生勇利の身体的ポテンシャルが元々あったのだろう。それ込みで技術なんてものは練習すればおのずと身につくものである。ミナコ先生及びコーチ及びリンクメイト及び幼馴染たちにも「もうちょっと練習量減らそう?」とまで言わしめたほどの練習量を誇った私である。嫌でも身につくよねジャンプは苦手だけど!!
 え?なんで今回そんなに頑張ったのかって?お前運動嫌いだろって?嫌いじゃないよ。そんなに好きじゃないだけで。どっちかという部屋で引きこもっていたいインドアタイプだけどまぁなんだ・・・ただでさえ勝生勇利になっちゃって両親には申し訳なく思ってるしあとなんだ・・・性別的に男になってしまったので違和感も未だあるというか女である時間の方が圧倒的に長いわけで、そうなると人付き合いもちょっと苦手になるというか男女で付き合っていくのと男同士の付き合い方ってやっぱり違うじゃん?
 言っておくが、友達がいないわけじゃない。仲のいい子は存在するし普通に遊びにも行く。勇利ほどスケート馬鹿じゃないし他人に興味がないわけでもないので、交友関係はそこそこだと思っている。無論広いわけでもないけども。あとファン対応も・・・まぁ、それなりに?さすがに神対応とまではいかないけど、まぁ普通に、人並みに愛想は振り撒くよね。てかファンって本当につくんだな・・・ファンがついているアイドルを近くでは見てきたけどまさか自分につくとは考えたこともなかったよ・・・。少ない方だとは思うけど。プライベートに関しては私の忍者スキルが火を噴くぜ!ということで基本気づかれないのであんまりそういうのに接することがなくて楽。スケートをしてる時としてない時って、真利姉ちゃん曰く「詐欺レベルで別人」らしいので、余計ことわからないんだろう。
 でもそれでもやっぱり諸々を思うと体よく逃げるには練習に没頭するのがいい言い訳になったといいますか。あとフィギュアって自分が始めるまで知らなかったけどお金のかかり方半端ないんだね。スポーツって基本的にお金がかかるものだとは思っていたけどそれでも「え?こんなに??」って思うぐらいかかるんだよ。計算すると多分かけたお金の元って仮に30年続けていたとしても取れないんじゃないかなってぐらい。選手生命短いしねぇフィギュアって。
 うちは貧乏とは言わないけど特別裕福というわけでもないまぁ一般基準よりちょっと上?なのかな?ぐらいなのでその分の負担も考えると、そこまでさせているのに中途半端は、ねぇ?実の両親ではあるが彼らは私の両親ではない。ある意味で他人様のお金でやらせて頂いている身分である。莫大な投資をさせているのだ。真剣にもなろうというものだ。結果こうなったわけだからあれだ。これはもう世界がこうしろと言っているのかもしれない。まぁ、なんとなくわかっていたことだけど。いやでもまだ大丈夫。私の目的はヴィクトル・ニキフォロフを死なせないことなので別にここまでの筋道が強制されていようとも結末さえ違っていればいいんだよ!
 あぁそれと、私がグランプリファイナルにあまり出たくなかったのは、もう一つ理由がある。というかこれが主な理由かもしれない。


「ヴィっちゃん・・・」


 勝生勇利の愛犬で、そして私の大事な共有者。にぎにぎと握りこんだ子豚をベッドの上に無造作に放り捨てて、サイドテーブルに置いてある充電器に差し込んだままの携帯を手にとる。プードルのイラストが描かれたブルーのスマフォケースは勇利の愛用品で私の愛用品でもある。電源をいれればホーム画面は勿論愛犬のヴィっちゃんで、その円らな愛くるしい瞳に目を細めてぎゅっと胸元に抱きしめた。
 ――彼は、このファイナル中にこの世からいなくなる。それは勇利の記憶を見てきたから知っている。勇利の中で、ヴィクトル並に痛烈に残っている喪失の記憶は、きっと忘れられないだろう。大事な大事な、大好きな私の共有者。誰にも言えない秘密も企ても、彼にならなんでも話せた。言葉を話せない動物だからこそ、彼は私の唯一の相棒足りえたのだ。・・・本当は、飼うという選択肢は排除してもよかった。喪失がわかっていたから、それなら手を伸ばさない方がいいんじゃないかと思って。私は勇利であって勇利ではなかったから、出会わないという選択肢は選べたのだ。ううん。最初は飼うつもりなんてなかったんだ。そもそも生き物を飼うということは簡単なことではないし、私はスケートをしていた。他にもやることややりたいことはあったし、満足に世話ができるとは思わなかった。結局家族にまた負担をかけるぐらいなら、何より実家は旅館でもあったし客商売にペットはなぁ、と思わなくもなかった。看板犬はいいと思ったけど、皆が皆動物好きなわけじゃないし。色んな理由を並べ立てて、でもやっぱり一番は置いていかれることがわかっていたから。だから、飼うのはやめようと思っていた。まぁ結局紆余曲折の上飼うことになったのだから、ヴィっちゃんと勇利は運命の赤い糸で結ばれていたんだね。
 結果、まぁ、私にとっても彼はかけがえのない存在になった。素直で無垢で健気なヴィっちゃん。かつてあの子が勇利をその無垢な愛で癒し支えていたのなら、私にとっては誰にも言えない秘密を、私が勇利でないことを知っている唯一だった。
 誰に話せるはずもない、知らせることなど考え付きもしない事実を、あの子にだけは話せた。訪れるかもしれない未来を変えるために、彼の罪も後悔も、私の罪も決意も何もかもを話したのはあの子だけ。犬だからわかっているのかはわからないし、秘密が盗み聞きでもされない限りは誰かに漏れることも当然といえば当然にありえないことだけど、それでもきっとそれは何よりも特別だった。だから、あの子が最期を迎えるときは傍にいたかった。大好きも愛してるもごめんねもありがとうも、ずっと近くで伝えたかった。
 勇利ができなかったから、私がしてあげたかった。もう、できないけれど。


「あー・・こんなことならジャンプ全ミスとかすればよかった・・・」


 まぁ実際にそんなことあまりにも失礼すぎてやる気にはなれないけど、心情的にはそれぐらいショックなのだ。ファイナル出場なんて普通喜ぶべきところなのに喜べないって・・・本当に私はスケート選手というか競技者に向いてないわ。できることならファイナル出場は棄権したいが、名誉なことだし自分の苦労も関係者の苦労も努力も身をもって知っている。それを愛犬のためだけに放り捨てることはさすがにできない。あ?ヴィクトル?ごめん勇利は重度のヴィクトルオタクでも中村透子は別にそこまでじゃないので執着はさほどないよ!まぁ彼を生かすことが最終目標だから注目しているし大事だし重要だけど、それとこれとは別だよね!あと普通にスケーターとして尊敬する素晴らしい選手だと思うよ!さすがリビングレジェンドだよね!自分でやってみて初めてわかるあの人の凄さ。今までスポーツって実体を知らなかったからどこまでがどう凄いのかなんてよくわからないままだったけど、やってみると本当あの男マジ同じ人間なのかな?って思うよ。
 いや本当、普通にすごいし尊敬するよリビングレジェンド。技術力も表現力も精神力もずば抜けてる。勇利が神様言っているのも超わかる。でもやっぱり人間のヴィクトルより犬のヴィクトルの方が私の比重は重い。あ、でもさすがに犬にヴィクトルってつけるのは私がつらたん、だったので捻じ曲げてヴィクトリーにしたんだ!ごめんねヴィっちゃん!微妙な捻じ曲げ具合だけど許して勇利!どの道ヴィっちゃんとしかほぼほぼ呼ばなかったから多分あの子自分の名前ヴィっちゃんだと思ったままじゃないかな?
 これでまともな演技ができるかと言われると・・・うーん。微妙?勇利とは別の意味で豆腐なメンタルも、勇利とは別の意味でオリハルコンでもあるからそこまで影響はしないと思いたいが、そっと心臓に手をあてて、溜息を一つ零した。


「一番不安なのは、君だよねぇ」


 どくどくと脈打つ鼓動が、俄かに速さを増した気がしたのは多分気のせいではないだろう。節目節目でこの体は大層な暴走をしてくれる。今まででいうと、そうだな。3回。3回、生死の境目を彷徨うかと思うほどの目にあった。そして経験上、恐らく。いやきっと。このファイナルの舞台で、この体はまた何かしでかすに違いない。
 それは予想ではあるがほぼ確定だといってもいいと私は思っている。携帯を握りしめたままベッドの上に背中から倒れて、跳ねるスプリングとベッドマットに受け止められてぎしぎしと揺れる。下している前髪をぐしゃっと握りしめて掻き上げながら、はぁと殊更重たい溜息を吐き出した。
 もしも些細なことで運命が変わるのならば、どうかあの子を私から奪わないでと、世界に願うことは罪だろうか。


 


 


 



〔つっづきから!〕

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