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「夕飯までには戻っておいで」

 ドンキホーテ・ドフラミンゴと鷹の目のミホークは、実を言うとさほど仲が悪いわけではなかった。無論、決して良好と言えるような仲でもなかったが、かといってギスギスと剣呑な空気を撒き散らかすほど不仲でもなく、辺り障りない関係を維持している。
 恐らくは互いに強い関心を抱かないからこその淡々とした関係なのだろうが、互いに嫌いあっているわけではないので、ドフラミンゴは実に気軽い調子でミホークに誘いをかけた。
 いい酒があるんだが、飲まないか?
 互いに酒は嫌いではないし、むしろ酒豪といっていいほどに好んでいる。酒の趣味もそれなりに合っているし、基本的にお互い暇は暇だ。酒の席の誘いを断ることは実はあまりなく、今回とてしばしの逡巡の後には頷くだろうとすら思っていた。だが、鷹の目のミホークはドフラミンゴを一瞥すると、素っ気無い口調で一言、答えた。

「断る」
「・・・珍しいじゃねぇか、鷹の目。何か用でもあるのか?」

 予想外にも拒否の返事にサングラス越しに意外に思いながら、ドフラミンゴはフッフッフッフ、と笑みを浮かべた。別に断られたからと何を感じるでもないが、半ば義務めいた様子での問いかけに、鷹の目は珍しくも少しの沈黙の後、今日は、と口を開いた。まさか答えが返ってくるなど思わずに、ドフラミンゴの目が軽く見開かれる。サングラス越しではあるので、実際周りからその様子が見えることはなかったものの、それでも内心の驚きを誤魔化すようにん?と促せば、鷹の目はぽつりと口を開いた。

「夕飯がオムライスだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」

 至極、真面目な顔で。いや、真顔というべきか。いつものような、いっそ睨んでいるのではないかというような迫力のある顔で。・・・・・・・・・今、なに言いやがったこの男?
 ポカン、と世界一の大剣豪と名高い男の口から出てきたとは思えないやけにファンシーな言葉に、ドフラミンゴの顔が崩れる。オムライス・・・?

「オムライス、なのか」
「あぁ。ふわふわとろとろに挑戦するらしい」
「ふわふわとろとろ・・・」
「話はそれだけか?なら私は帰るぞ」

 だから真顔で何いってんのこの男。男の口から出るにはあまりにミスマッチな単語の羅列に、いつもの笑みを出すことさえ忘れ、颯爽と踵を返した背中を思わず見送り、ドフラミンゴはその背中が見えなくなったところで、わなわなと肩を震わせた。

「フ、フッフッフッフ・・・・・・・・・・・・・面白いじゃねぇか、鷹の目」

 誰だ、あいつにオムライスなんつーものを作っている奴は。
 引かれた興味に、にぃ、とつりあがる口角は、何を示していたのか。フッフッフッフ、と独特の笑みを廊下に響かせながら、ドフラミンゴは電伝虫のダイヤルと、くるくると回したのだった。



 

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〔つづきはこちら〕

「IF海賊~鷹の目編~」

 目の前にはパックリと真っ二つに折れた・・斬れた?まな板と調理台。食べ物こそ等分にされてはいるがまさしく「二等分」でしかなく、ここからもっとこう細かい切り方をね?と思いつつ、私は目の前で仁王立ちしながら無表情に、そして本人は恐らく意識せずにやたらと鋭い眼光で見下ろしてくる保護者を見上げ、溜息を殺せなかった。

「・・・料理、したことないんですか?」
「する必要がない」
「・・・海の上で、どうやって生活していたんですか・・・?」
「魚と野菜があれば十分だろう」
「・・・冷蔵庫の意味は・・・?」
「食物の保存だろう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・とりあえず、ジュラキュールさん、片付けるんで、出て行ってください」
「・・・・・・うむ」

 軽い頭痛を覚えながら、出口はあちらです、とばかりに手で指し示せば、さすがにこの現状で反論する気は起こらなかったのか素直に台所から出て行く大剣豪。鍔広の帽子と無駄に翻るコートが鬱陶しい、と思いながら、しかしこれどうしよう、と眉を下げた。・・・幸い、真っ二つになったのは調理台だけでコンロに支障はなさそうなので、食材はテーブルで切って、適当に何か作ろう。
 真っ二つに斬れてしまっているまな板は・・・・まぁ、ミニまな板とでも使えそうなぐらい鮮やかな切り口なので一応使わせてもらおう。一方は野菜用で一方は肉用にでもして、再利用決定。大きめのまな板だし、十分使える。切れ込みの入った調理台はどうしようもないので、次に上陸する時にでも修理・・・いやこれは取替えの方が手っ取り早いか。まぁそこらの資金諸々は当人が出すだろうし関与することではない。
 そして華麗に真っ二つになっている食材は、適当にぶつ切りにして使うとして。散乱しているボールやらなんやらは所定の位置に戻して・・・。ていうか料理してないって言ったくせに無駄に器具が充実してるんだが?宝の持ち腐れとはこのことだ、と思いながら彼が握ったのだろう、なんの変哲もない包丁に溜息を吐いた。

「・・・なんで包丁で調理台が真っ二つになるんだ・・・」

 彼の背中にある無駄に長大な剣ならまだしも、普通の包丁だろうに。弘法筆を選ばずってことなのかなぁ、と思いながらジュウジュウとフライパンを動かす。人外め、という悪態は今更だとしても。零れそうな溜息が、やっぱり押し殺せずに零れていった。


 蛇足だが、野菜とお米と卵とソーセージに適当な塩コショウ、香りつけの醤油でできた、決してパラパラとは言い難い家庭の炒飯は、存外ジュラキュールさんの口にあったらしいです。・・・案外庶民的なのか?この人。



 

〔つづきはこちら〕

「図書館ラヴァーズ」

 自転車置き場に自転車を置き、前の籠にいれていた鞄を取り出して中身を見れば、チカチカと光る携帯を見つけて眉を寄せた。嫌な予感しかしなかったが、届いているからには見なくてはどうにもならないので、眉を寄せて着信を確認してみれば案の定友人からだった。なんかどっかのメルマガとかお知らせとかそんなのの方が現状すごく嬉しいのに。溜息をつきつつ中身を読み、もう何度打ったか知れない返事を送信し、ぐっと長めにパワーボタンを押して携帯の電源を切る。
 液晶が真っ暗になりうんともすんとも言わなくなった携帯を持ったままダウンジャケットのポケットに手を突っ込み、ようやく人心地ついたとマフラーに埋めていた顔を出して上を仰いだ。吐いた息が白く濁るのを尻目に、爽快に晴れ渡る空にこちらは曇天だよ、と肩を落として止めていた足を動かす。
 微かな機械音と共にウィン、と左右に開く自動ドアを潜り抜け、ずらりと室内一杯に並ぶ本棚とその中に敷き詰められるように収まる本が作り出す静寂の空間へと足を踏み入れる。
 まばらに人も見えたが、喧騒、いや人の声から程遠い空間は数日前から機械音に悩まされていた私の耳には優しく、溜まらずほっと安堵した。寒さに強張っていた筋肉も効き過ぎるぐらい効いている暖房に緩んでマフラーを取ると無造作に鞄に突っ込み、カウンターの前を抜けて陳列する蔵書に視線を走らせる。
 ここならばいくらメールや電話に反応がなかろうといくらでも言い訳は可能だ。元より仲間内ではそういった反応にはずぼらというか、携帯なのに携帯していないことで返事も遅い私にその手の苦情がきたことはないのだが。なにせ事前に返事は遅いよ、と言っているのだし。一応外に行くときは持ってはいるんだけど、家の中だと部屋に置きっぱなしにしていることが多く、自室にいないことも多いので必然的にメールに気づくのが遅くなるということだ。
 夕方のメールの返事が深夜の時間枠になることなんてザラにある。気づけば返すんだけどねー。しかし今回ばかりは気づいても返したくないぐらいに面倒だ。
 知らず溜息を零しながら、適当に本棚の間を歩き、趣味でラノベや児童書を流し見しながら、懐かしい本を手に取る。夢◎清◎郎シリーズとか、怪◎クイ◎ンシリーズとか、色々。小学生向けなのでやや大きめの文字だったりするが、正直こっちのが目にも優しい気がする。
 手に取ったり戻したり、そんなことを繰り返しながら間を抜けて、目的は一応読書感想文用の本だ。
 夏だろうが冬だろうが春だろうが関係ない。国語担当教科の担任の趣味により、国語の課題に読書感想文がつくのは一年時からの通例だ。実際読書は大事だと思うので問題はないのだが、しかし課題だといわれると読む意欲というのが失われるんだよねぇ。専ら読むのはどっちかというと気軽に読めるラノベ系だし。
 いや、一応文学的なものも読むんだけど・・・やっぱりどっちかというとラノベがねぇ、読みやすいし。
 しかしまさか課題にラノベの感想文など出せるはずもなく(そんな勇者もいるかもしれないが)、今まで読んできた中から適当に抜粋もしていいのだが、どうせなら何か新しく読むのもいいなぁ、と思って。
 一応メール地獄から開放されたいが為だけにきたのではないと、弁解しておく。あぁもう本当に、・・・この前は本当にまいった。お手上げというしかない。
 まさかなー。ここがあの世界だなんてなー。しかも迷宮とかさー。マジ勘弁してよ。いや別にいいんだけど、何故そこで私に接触を図ってきたのかがわからない。ここ数日考えてみたことだが、まさか彼らが私のことを知っているとは考えにくいのだ。リズ先生ならいざ知らず、あそこにいたのは白龍と譲。後から朔もいたのかもしれないが、生憎とダッシュであの後は逃げたのでどうなったかは知らない。だが、彼らが私のことを知るはずが無いのだ。だって、私のエンディングはすでに終わっており、あの流れから運命の迷宮に繋がることは皆無だからだ。大団円エンドに近くはあろうとも、私が死んだ時点で、その先はない。
 つまりあの彼らがここにいるはずがなく、ついでに言えばよしんば別時空の私がもしかして運命の迷宮のルートを辿っていたのだとしても・・・私に対してあのような反応をする意味がわからない。言っておくが確かに似ているけれど今の私の顔立ちはぶっちゃけ違うものだ。生まれた腹も提供された精子も違うんだから当然なんだけど・・・。てか私がいるのに私に抱きつく意味がわからん。それに。

「望美ちゃんが、いたよね・・・」

 足を止め、ぽつりと呟く。だって最初に白龍が抱きついていたのは確かに望美ちゃんだった。あのゲームの公式主人公で、あの様子ならば彼女が神子であることは間違いない。なら私のあの体験はなんだったのさ?って話だが、そこは考えるとなんかパラドックス的なあれやそれに陥りそうでわけわかんないので放棄し、彼女がいるのならば益々私関係ないよね、ということになる。つまりどうあっても、私が彼らにあんな熱烈な抱擁やら泣きそうな顔やらされる理由がないのだ。むしろ逆。それするの私。いややらんけども。関わりたくないから。
 ・・・・考えてもサッパリわからん・・・。友人たちから「あれは何事!?」的なメールがひっきりなしにくるわけだが、正直私の方が「あれは何事?!」だ。てかさー・・・噂になってるよねー確実に。終業式の日にさ、生徒も大勢いる校門でさ、なにやらかしてくださったんだろうねあの無駄にイケメンズは。
 明らかな地味キャラが派手な面子といるだけで目立つってのに!あぁ冬休みでよかった!これで普通に学校があったら居た堪れなさ抜群だったよ!休みの間に沈静化してくれるといいな・・・。
 全く、本当に、面倒この上ない。ぐったりと本棚によりかかりながら、表情を消して薄くなった背表紙をぼんやりと見つめた。

「なんで、かな」

 関わりたくない。遠いところにいたい。あんな厄介事はもうごめんだ。二度と、もう二度と。繰り返したくないことで、忘れたいことで。だけど、――――会えて、嬉しくなかったわけでは、ないんだ。
 二度と会えないと思ってた。会えるはずが無いと思ってた。だけど出会った。声を聞けた。嬉しくないはずがない。どんな夢物語のような出来事だったとしても。確かに私は彼らと時を刻んだし、仲間であったし、大切であった。だから、喜ぶ気持ちがないなんて、言わない。言わない、けど。それ以上に、根付いた恐怖心は深くもぐりこんで抜けそうに無いのだ。
 平凡でいい。平凡がいい。平穏でいたい。平穏であるべきだ。派手すぎず地味すぎず。そこらの学生となんら変わりなく、退屈だ受験だ就職難だといいながら、それなりに幸せだと感じられるものを得て、生きていければ。それだけでよくて、それだけが欲しくて――物語のように、ドラマティックな人生なんて、本当に、いらないのだ。

「・・・・てか他の面子もいるってことだよねぇ」

 あぁぁぁ・・・・。思わず本棚に縋りついてずるずると座り込む。・・奴らの行動範囲などわかるはずがないので(とりあえず迷宮がある神社には絶対足を向けまい)、遭遇しないことを祈るばかりだ。てか早々行動範囲が重なるかよ、とは思うんだけど。有川家と春日家の住所なんて知らないが、近くはないだろうし・・・。町中で会うなんてそんな滅多なこと確率的にも低いだろうし。
 唯一の接点なんて学校ぐらいで、まぁ、多分今後遭遇することはないだろう。休み中に解決することで、新学期が始まればことは全部終わった後だ。うん。なんとかなる気がしてきた。ちょっと他のみんなに会ってみたいな、という気もしなくもないが、やはり妙なことになるのも嫌だし、会うというよりも見かけるぐらいで終われたいいなぁ。はぁ、と溜息混じりに俯いてぐったりと肩から力を抜いた。

「あの・・・どこか、具合が・・?」
「え?」

 不意に、後ろから遠慮がちに声をかけられ、びくっと肩を揺らしながら後ろを振り向く。その瞬間、限界まで見開いた目を誰が咎められるだろう。同様に、向こうも大層驚愕を浮かべていたが、ぶっちゃけそれを注視できるような心境ではなかった。さらさらと頬を掠める紫色の髪。昔はもっと長かったはずだ。後ろで結わえて、解くと女の子みたいで可愛くて。今は襟足でそろえるように短くなっていて、羨ましくなるぐらいのキューティクルとストレートが見せ付けられるように彼の顔の横を滑っていく。オレンジ色の狩衣は、オレンジ色のトレンチコートに変わり、茶色のブーツが足元でちらちらと見える。・・・・・・・・・・・・そんな。

「あつ、・・・っ」

 開きかけた口を咄嗟に閉じて、慌てて立ち上がる。びくっと肩を震わせ、一歩足を引いた――敦盛さんの、伸ばされかけた右手など気にかける余裕もなく。
 私はきつく鞄を握り締め、はくはくと無意味な開け閉めを繰り返す口で、たどたどしく返事をした。

「だ、大丈夫、です・・・ちょっと下の方の本見てただけなんで!」
「あ・・・」
「そ、それではっ」

 頭の中が真っ白だ。鮮やかなオレンジのトレンチコートにくらくらしながら、物言いたげに唇を震わせ、くしゃりと顔を顰める彼から顔を逸らして急いでその場を離れる。不意に、指先が、手を掠めたような気がしたけれど。待って、なんて声は、聞こえない。例え、彼がそれを言いたそうに、手を伸ばしていたのだとしても。背を向けた私に、彼の声なき言葉など、届くはずも無くて。
 混乱する頭でもかろうじて図書館内で走ってはならない、という約束事だけ守り、それでもできるだけ早足でカウンターを通り過ぎ、自動ドアを潜ると一目散に自転車置き場に走る。
 なりふり構っていられない。乱暴に自転車の籠に鞄を突っ込み、支えを足で蹴飛ばして跨るとぐるっと反転して全速力で自転車を走らせる。どうしようどうしようどうしようどうしよう。頭の中でぐるぐると同じ言葉ばかりが回って心臓がばくばくいっている。まさかまさかまさかまさかまさかこんなことって!

「早々に接触とかマジありえん・・・!」

 そういえば敦盛さんって図書館イベントかなんかあった気がするーーー!!!そんなことを思いながら、町中を自転車で疾走した。いや、最早爆走に近かったかもしれない。
 混乱する頭では、最早突然の接触に対する動揺しか浮かばず、その時、彼がどうしていただとか、あの後どうなっただとか、考えることは出来ずじまいで。とりあえず、図書館にはしばらく行くまい、と硬く決意した。


 彼の、泣きそうな顔など、知りもしないで。




〔つづきはこちら〕

「あなたは、知らない」

 知らなかったことが、嘘のようだ。
 白龍の腕に閉じ込められるその人を見つけて、言葉が喉の奥に引っかかって上手く出てこない。白龍の行動を止めなくてはならないのに、困惑したように向けられる春日先輩の疑問の目も、周囲の好奇の目も、何もかもがその瞬間、確かに自分にとって取るに足らないことであり、その時の全ては、ただ存在する目の前の存在のみに集約されていた。
 白龍の腕の中にすっぽりと納まる小さな体。白龍と比べずとも、春日先輩と並んで見ても大分小さいだろうその華奢な体躯が、見慣れた制服に包まれている。あぁそうか、同じ学校だったのか。
 呆然としながら、そんなことを考える。なんで知らなかったんだろうとか、気づかなかったんだろうとか、ぐるぐると考えながら、息が詰まって上手く呼吸ができない。肌を刺すような凍えきった空気の中で、どくどくと早鐘を打ち始めた心臓に熱が集まり始めたような気さえし、言葉にならない思いが胸中で渦巻く。
 言葉もなく傍から見れば呆然と彼女を見ていれば、白龍の腕の中で、もぞりとその人が動いた。ぎくりと、跳ねた肩は夢を見ていたかのような曖昧な境界線を越えて現実味を伝えてくる。
 小さな手が、白龍の胸を押しのける。それでも嫌がるように更に腕に力を篭める白龍に、彼女は精一杯抵抗しながら、ふと横を向いて、こちらを見て目を丸くした。見慣れた顔。あぁでも、多少作りが違うような気もする。いや、だけど同じ。どこか曖昧だった記憶が、どうしても時の流れと共に、曖昧になっていた部分が、その瞬間まるでパズルのピースを当て嵌めたようにカチリと嵌る音がした。
 どっと寄せてくるのはなんだったのだろう。困惑、疑問、不安、恐怖、後悔、慕情、そしてそれらを凌駕する、歓喜。溢れ出てくる思いに、歯止めが利かない。利かせられない。
だって、また会えた。やっと、会えたのだ。ここにいる。目の前に、彼女が。そう、彼女がいる。生きて、立って、呼吸をして、しっかりと自分を見つめて、ここに、生きて!
 嗚呼、と吐息に掠れた声が震える。白く濁る視界の向こうが滲んだようにおぼろげで、知らず伸びた腕が彼女の頬に触れる。白龍の腕の中で、目を丸くして、声をなくしている彼女の、先輩の、・・・・透子、先輩の、頬を、柔らかな頬を、畏れるように微かに触れて。指先に感じたものは外の空気に冷やされたのか、ひんやりと冷たかったけれど、それでもどこか、暖かな。確かめるように頬を掌で包めば、益々近づく顔。驚愕の瞳。あぁ、そうか。

「・・・・・白龍、離してあげないと、」
「・・っ」

 びくりと跳ねた肩。強くなる腕。けれどそれを押し留めるように、肩に手を置いて。ようやくのろのろと彼女を拘束する腕の力がなくなれば、飛びのくようにして離れる体。昔ならば、きっと、白龍のこんな行動なんて、簡単に受け入れてくれただろうに。逃げるように後ろに足を下げるその警戒に、泣きたくなった。


 あなたの中で俺達は、知らない人間なんですね。




 

〔つづきはこちら〕

「運命の迷宮」

 冬の空気は刺すように冷たい。吐く息は白く濁り、吹き付ける風はむき出しの肌を容赦なく攻撃して指先を氷のように冷たくさせる。手袋をしているのに、なんでこんなに冷えるのだろう。ぎゅっと手を握りながら、ぐるぐるに巻いた毛糸のマフラーに首を竦める。
 黒のハイソックスに、白の制服のスカート。お洒落に気を遣う女子生徒のように、短く裾を切る勇気もないので規定の長さで膝丈をキープ。生足晒して寒い寒いと喚く女子生徒の気が知れない。寒いならその丈の短さをなんとかしたら?というのは、彼女たちにとっては別問題らしい。よくわからないなぁ、と溜息はやっぱり白く濁った。ズボンと違い容易に風の侵入を許す心許ないスカートが、ぴらぴらと揺れる。思わず恨めしく男子の長ズボンをねめつけるが、謂れの無い恨めしげな視線は誰に悟られることもなく、茶色の通学鞄を握り締めて肩を落とした。寒さに強張る肩の筋肉が微妙に痛い。仰ぎ見た空は冷たい空気に晒されて高く澄んでいて、なんで寒いとこんなに綺麗なんだろう、と瞬きをする。その刹那に、帰宅を同じくする友人に声をかけられると、あっさりと思考はそこからずれて何気ない会話に混ざるのだ。昨日のテレビ番組、今話題のアイドル、知人の何気ない面白行動や、漫画やアニメの萌え語り。専らそれ系の会話なのは私がそういう人種だからで、そして友人も例に漏れずそういう人種だからだ。類は友を呼ぶのである。
 楽しげに話しながら、校庭を横切ると、周囲の空気がざわりと揺らめいた。はて?思わず話していた友人と顔を見合わせれば、二人揃ってなんとなく、ざわめきの中心に視線を向ける。
 そこで、私は、驚愕に目を見開いて、うそ、と小さく呟いた。

「なにあれコスプレ?変質者!?髪長!!しかも服装すごっ。なんか誰かに抱きついてるけど、知り合いなのかなぁ?すごいはっちゃけた人だねー」

 隣で友人が不審者過ぎる!と喚いている中で、私は咄嗟に顔を逸らした。いや、うん。なんの反論もできない。長い髪は地面にまで届くかと思うほどで、髪の色は綺麗な白銀。服装といえば本場でも今時あんな格好しませんよ、といいたくなるチャイナ服で、体格はすらっとがっちり高身長。
 顔は、見なくてもわかる。声は某有名な声優さんで、ぶっちゃけ言わせて貰うなら正直キモチワルイ。褒め言葉。褒め言葉でキモイ。いやでも素でないわーと思ったのも事実。クール系キャラをしていればいいのに何故あえて純真無垢系できたんだ。ちっさい方が可愛いのにとは再三思ったことで、さておき。まさかの出来事に隣で興味津々に目の前のイチャラブ光景をガン見している友人からも顔を逸らして、私は一人ひっそりと苦悩した。まさか、ここ、あの世界だったのか。縁切れたと思っていたけど、実は実はで繋がっていたのか。そんな、まさか。でも現実に。あぁくそう。まさかの繋がりにくらりと眩暈すら覚える。
 でも、そうだ。私はここにいるけど、彼女だってあそこにいて。そして彼は彼女を抱きしめているのだから、実は関係ないんじゃないかと、ふと思う。関係、ないんじゃないだろうか。ここは、似ているけれど、私がいたところとは、関係ないんじゃないかって。漠然とそう思ったとき、友人があ!と声を張り上げた。その声にびくりと肩を揺らして、咄嗟に顔をあげれば、絡まる視線。あ。と目を見開いたとき、それは回避を許さぬ勢いで、走り出した。
 あぁもう、本当に、逃げ場が、ない。逃げる、という、コマンドを、選ぶ暇もないほどに。今の今まで抱きついていた少女を手放して、それは、こちらに向かって、駆け出してくる。ゆっくりとした動作に見えて、実際にはそれは結構なスピードで。体感時間と、実際の時間の流れが違いすぎて、対応が間に合わない。
 呆然としている間に、私は大きな体に抱きすくめられて、厚い胸板に顔を埋める形になって、逞しい両腕にがっちりと捕まえられて。隣で友人がきゃぁ!なのかぎゃぁ!なのかわからない悲鳴をあげたところで、私はうーわー、と顔を引き攣らせた。
 声もなく、ぎゅうぎゅうと、抱きしめる腕が、苦しい。まるで離さないといわれているみたいで、軽く混乱を呼び込んだ。あぁ、ちょっと。待って。どうして、ここで、私、を。
 吐息に混ぜて呟かれた声は聞こえなかったけれど、何故だろうか。まるで私の名前を呼ばれたようにすら感じて、私はきつく目を瞑る。違う、違う。私は、もう、関係ない、はずで。

 だって、私は、望美ちゃんのいる遙かの世界を、知らないん、だから。
 だからここは、私の知る、私のいた世界ではないはずで。だから、ねぇ。白龍。



 この腕を、離して、よ。




〔つづきはこちら〕

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