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うまく、事態が呑み込めていない。どうした?と尋ねてくる男子生徒になんでもない、と掠れた声で返答をしてから、急いで校門をくぐる。後ろから呼び止められた気がしたが、正直それにまともな反応を返せる気がしなかった。
ここは、どこだ。学校指定の通学鞄だろうか、馴染みがあるような、全くないような、奇妙な違和感を覚える鞄を握りしめて、周囲を見渡す。見覚えのない校舎がそこにはあり、やはり見覚えのない校庭が広がっている。ちらほらと見える学生にも覚えはなく、何もかもが記憶と重ならない光景に眩暈を覚えた。
カラカラに口の中が乾いて、心臓がどくんどくんとうるさいほど騒ぎ立てる。見知らぬ世界にぽつんと取り残されてしまったかのような心もとなさ。いや、取り残されるというよりは、放り出されたようだ。足元がぐらぐらとおぼつかない。自分がちゃんと立っているのかもわからない。なんだ、ここは。どこだ、ここは。
挙動不審に、きょろきょろと辺りを見渡した。ふと自分の姿を見下ろせば、周囲の生徒と同じ制服を着ていた。私はここの学生なのか、と思ったが、生憎と入学した覚えもなければ受験した覚えもない。それでも私はこの学校の制服をきていて、通学鞄をもっていて、この学校に登校したみたいで、校門では風紀チェックをされて、そのうちの男子生徒とは彼曰く友人で、一年からの付き合いで、ここは月海原学園という学校で、あぁもう、わけがわからない。
私はこんな学校なんて知らない。こんな学校に入学した覚えなんてない。ここの生徒に見覚えなんてないし、生徒会長とは友人だった覚えもない。知らない、知らない。わからない。ここはどこ?どんな世界?どういう場所?私は、一体。
「なにしてるのー?早く教室いかないとタイガーに怒られちゃうよ」
「ひぇっ・・・え、あ、たい、がー?」
「あ、やば。タイガーって言ってたら藤村先生怒るんだよね。まぁ本人に聞こえてなければいっか」
「藤村、先生・・・?」
「もうすぐHR始まるし。早く2-Aの教室行った方がいいよ」
「あ、う、うん」
見知らぬ女生徒は、いきなり親しげに話しかけてきたと思ったらこちらの困惑などお構いなしに、一方的に話しかけて会話を終えてしまった。そのまま茫然としている私など視界にも入らないかのように歩き去ってしまって、ぽつんと取り残された私はますます困惑を重ねるしかない。・・・彼女とは知り合いだったのだろうか?・・・私、なんで何も知らないんだろう。いや、それが当たり前といえば当たり前なんだけど、ひどく世界がぶれているような気がしれならない。
鈍い疼痛を覚えて眉間に皺をよせ、私は改めて顔をあげた。私の名前は、中村透子。一般人で、極々平凡などこにでもいるような女子高生で、腐女子。でも割となんでもイケるタイプで、しかしながら諸々の事情で一般人の道を外れてしまったというか外されてしまったというか落とされたというか、まぁ、なんだ。平凡返してくれよが日々の望みで、そう、確か、私はマリアン先生と一緒にいて・・・いて?いや、違う。私は、あのとき。
ぞっと記憶が脳裏をかけた瞬間に背筋を悪寒が走り、上がりそうだった悲鳴を噛み殺す。・・・もしかして、私はまた、転生なるものをしてしまったのだろうか?
辿りついた結論に、体中の力が抜ける、茫然と校舎を見上げながら、あぁそうか、と瞬きをした。死んだのだ、あの時。それで、この世界に生まれたのか。いや、でも、この学校に至るまでの記憶がないのはどういうことだ?まるで突然ゲームが始まったかのように、この世界の昔の記憶がない、というのは・・・。
「・・・突然前世を思い出した、とか?」
それで今までの記憶をなくしたとか?え、なにそれすごく面倒。そのパターン初めてですねちょっとどうしたらいいのかな?どうせなら前世など思い出さない方がよかった、と思いながら、ため息を吐いた。まぁ、うん。・・・なんだ。
「教室、行こうかな・・・」
遅刻しても嫌だし。学校にきてるんだから教室いかないとだし。教室の方が考え事には適してるだろうし。幸いにも、あの女子生徒のおかげで自分がいくべき教室は把握できたので、ひとまず落ち着いて考えることができる場所を、と私はとぼとぼと校庭を横切った。
私は、愚かだったのです。
その愚かさのせいで、私は弱くも優しいひとを死なせてしまったのです。
私は優秀な忍びでした。いえ、正確に言うのならば優秀という言葉の上に胡坐をかいていた、井の中の蛙であったのでしょう。忍びにとって過信することは恐ろしいことだというのに、厳しく戒められたことでしたのに。
私は己の能力を過信し、また他者を見下すプライドばかりが先立つただの子供だったのです。
その人は私の先輩でした。優しく、穏やかで、どこか達観したひとでした。忍びには不向きな人でしたのに、その人は最高学年に在籍しておりました。たった一人の六年生だということも手伝い、またその気性から後輩からも慕われるような人でありました。けれど、再度いいますが、その人は忍びには向かない人であったのです。座学ばかりが優秀でも忍びは成り立ちません。実技は、そりゃあ六年間も学園にいたのですから、それなりに、といったところでしょうか。けれども、正直に言わせてもらえば私から見ればさほどの腕前ではございませんでした。
私は心から忍びになりたいと思っておりましたし、男にも負けたくなどありませんでしたので、それはもう努力をいたしました。実力は男子にも劣らず、六年間を過ごしていたとはいえ、忍びになる気もない先輩など相手にもなりません。
そう、その人は六年間も在籍していながら忍びになる気のない人でありました。なる気もないのになぜいるのか、理解に苦しみ、また私の目指すものを馬鹿にされているようで、正直私はあまりその人が好きではなかったのです。己よりも弱いということも、その人を厭う理由の一つであったかもしれません。
いくら人柄がよく後輩から慕われていようとも、私にとってその人は忍びになる気もない実に中途半端な、ただの弱い先輩であったのです。軽蔑、すらしていたかもしれません。よくまぁあれで最高学年などと言えたものだと、恥ずかしくないのか内心であざ笑うこともありました。後輩よりも実力に劣るのですから、しょうがないのかもしれません。私のほうがよほど優秀だと、後輩にほほえみ、また同級生に微笑むその人を眺めては馬鹿にしておりました。
時折言葉を交わすこともありましたが、その人は私の内心に気づいているのかいないのか、いつも変わらずにおりましたが。
それが如何に愚かで、情けなく、恐ろしいことであったのか。
知ったのは、すべてが終わったあとでございました。
とある学園の実習授業のことでした。別の学年の生徒とペアを組み、実習をこなすというものでした。
私は運悪く、その先輩と組むことになったのです。同学年、あるいは後輩にしろ、彼女よりも優秀な生徒はいるだろうに、私は嫌悪する先輩と組む羽目になったのです。最悪だ、とまではいいませんが、私はこの先輩が己の足を引っ張らないかとそれだけを思っていました。私は優秀でしたので、その先輩を足手まといに思っていたのです。
それにその実習は成績にも直接反映される大事な実習でしたので、一流の忍びを目指す私にはとても大切だったのです。
実習は、恙なく進めることができました。その人は優秀ではありませんでしたが、だからといって劣等生でもありませんでしたので、大きな問題を起こすことはありませんでした。その人があまり自己主張なく、私の判断に任せていたのも問題なく進んでいた理由かもしれません。本来なら年上たる彼女が指示を取るものですが、彼女は能力差を見込んで私に指示権を与えたようなのです。私はそれに小さな優越感と、後輩にへりくだる先輩に侮蔑を覚えながら、実習を進めました。時折彼女も口を出すことはありましたが、彼女の判断よりも自分の判断の方が正確であったので、私は自分の考えを優先させました。
実習は、問題なく進みました。ちょっと怪しいぐらいに問題もありませんでしたので、私は自分の判断が間違っていないことを確信していました。しきりに心配する先輩に、忍者の三病ですよ、と笑っていえるぐらいに、私はこの実習を今までになく完璧にこなせると確信していたのです。
・・・・結果を言えば、それは大変な驕りでありました。私たちは見事相手の手のひらで踊らされ、かつてない危機的状況に陥ったのです。それまでこのように大きな失敗も危険もあったことがありませんでしたし、起こしたこともありませんでしたので、当時の私は馬鹿みたいに混乱してしまっていました。
死がすでに目前まで迫っている。相手はまだ忍びにもなりきれていないひよっことは違い、本物の忍びでしたので、いくら学園で優秀といえど歴然たる実力の差というものがそこにはあったのです。
経験の違いともいうのでしょうか。なまじ今までそのように危機的な状況に陥ったことがありませんでしたので、私は相手に翻弄されるがままでした。それでも学園の情報も、奪った密書も、渡すようなことはできませんでしたので必死に抵抗いたしましたとも。初めてといえるほど明確に見せつけられた死という可能性に、委縮し混乱する私を、叱りつけたのは私が馬鹿にしていた先輩でした。
その人は実力こそ劣るものの、怯える私を叱咤し、宥め、生き残る道筋を示してくださいました。
そう、その人は、私の知らぬ世界を知り、経験し、乗り越える術を知る強いひとだったのです。
私は、その人に言われるがままに動きました。恐らく実習事態は失敗でしょう。けれど大事なのは自分たちが学園の生徒であることを知られないことと、奪った密書を確実に持ち帰ることでした。
「あなたは、忍者になりたいんでしょう?なら、今しなくちゃいけないことを考えなさい」
そう叱咤し、脅える私の頬を落ち着かせるように辿り、頭を撫でたその人は、最後に小さく、微笑みました。
私を撫でた先輩の手は震えていました。辺りは月も見えぬ森の中でしたので、顔色こそわかりませんでしたが、もしかしたら私と同じように蒼褪めていたのかもしれません。それでもその人は微笑み、私に語りかけ、道を示し、そして背中を押したのです。
私は先輩に促されるまま、走り出しました。後ろの方であの人が敵の足止めをしていることはわかっていました。その人がそのために残ったことも、急がなければ命が危ないことも。わかっていました。わかっていたのです。
急いで助けを呼ばなくてはいけないことも。学園に戻って誰かを呼ばなくてはいけないことも。
けれども、その人の指示は、約束の時まで身を潜め、合流すること。叶わなければ出来うる限りの迂回をし、学園の存在を気取られることなく帰ることでした。
学園の存在を知られてはいけない。万が一があれば学園そのものが危機に晒される。最上級生らしい、後輩を守るための最善の策でした。私は、他者の生死を背負いながらも、その指示に従う他なかったのです。忍びであるのならば、任務中は感情を捨て、何が最善かを考えるべきだからです。
そのときの最善は、先輩の命よりも、学園の安全だったのです。
私は、見下していた先輩から、忍びのなんたるかを教えられ、そして、生かされたのです。
・・・私は、先輩の指示通りに夜を明かし、待っても来ない先輩をおいて、学園に戻りました。うまく迂回できたかはわかりません。誰にも見つかっていないという確証もございません。内心焦っておりましたし、残った先輩も心配でしたので、ちゃんと指示通りの行動ができた自信はありませんでした。とにかく、急いで戻り、先輩を助けに行かねばという気持ちで学園への帰路を辿ったのは間違いございません。
戻った学園では、教師と、忍たまの最上級生が待っておりました。あの先輩は、後輩のみならず、忍たまからも慕われておりましたし、特に最上級生は同級生、とあるクラスに至っては過去に共に学んだ仲とも聞きましたので、その心配も一入だったのでしょう。
事情を聞くなり飛び出した彼らを、満身創痍の私は最後まで見届けることもできずに、意識を失いました。
次に目を覚ました時には、すべてが終わったあとでございました。
実習はすべて終わり、学園に生徒は帰還し、そして、先輩は。あの、弱く優しく、私にはない強さを持っていたあの人は。
物言わぬ屍となり、静かな部屋に、横たわっておりました。
当たり前といえば、当たり前でございました。予想していなかったといえば噓になります。覚悟がなかったといえば嘘になります。あの状況で、あの行動で。生き残れる可能性の方が低いなどと、下級生とてわかりましょう。
あぁ、けれども。けれども!!
「やく、そく。したじゃ、ないですか・・・っ」
必ず追いつくと。追いつけなければ、ちゃんと生きて待っていると。死なないから、私の役目をこなせと!!
そういったのに。そう言っていたのに。嘘など吐かないと。悪い冗談など言わないと。言ったのに。言ってくれたのに。
嘘だなんてわかっていました。詭弁だなんて知っていました。それでも希望に縋りついていたのは私でした。その嘘を信じたのは私でした。
私が、先輩を殺したのです。
先輩の死に顔にはきれいな死に化粧が施されておりました。元々あまり化粧っ気のない人でありましたので、その死顔はついとみないほどにきれいなものでした。施したのは彼女と特に親しかったい組の作法委員会の六年生でしょう。彼女に施された死に化粧は大層美しく、また、とても冷たいものでございました。
そのまま先輩は学園で簡易的な葬儀をあげられ、遺体は家族の元へと返されたと聞きます。
葬儀中はみな悲しみに暮れておりました。くのたまにおいては唯一の最上級生でありましたし、後輩から好かれていた先輩でありましたので。また、忍たまにもっとも害のないくのたまとして忍たまからも慕われておりましたし、彼女と同学園の六年生などはそれこそ男女の垣根こそあれ、六年間苦楽を共にしてきた相手です。
悲しまない方が無理というものでしょう。彼女は、多くの人間に慕われていたのです。きっと本人にその自覚はあまりなかったのでしょうが。狭い学園の中で、あまり目立たない人ではありましたが、その存在は確かにこの学園に根差していたのです。決して要であるようなものはなかったでしょう。輝けるような太陽ではなかったでしょう。けれど確かに、そこにいてほしい人だったのです。
あのとき、私がもっとあの人の言葉に耳を傾けていたら。もっとちゃんと周りを見ていたら。己を正しく評価していたら。今でもあの人は生きてそこにいたのかもしれません。誰が悲しむこともなく。朗らかに微笑み、時折苦笑し、たびたび巻き込まれ、それでも、生きていてくれたのかもしれません。
私が愚かであったばかりに、人一人を死なせて、その未来を奪ってしまったのです。それは私の咎です。私が背負い続けなければならない悔恨であり、戒めです。
「だから、君たちはそうなってはいけないよ。私のように、取り返しのつかない状況になってから、気づいてはいけないよ。・・・教訓とするには、あまりに重すぎる教訓だからね」
己の後輩の頭を、あのときの先輩のように優しく撫でて。
私は、昔話を終えたのでした。
寝かされていた部屋から外に出て、通路を歩くことしばし。職員用の通路だったのか、かつんかつんと靴音を反響させる人気のない道を抜けると、僅かに光が漏れいるドアが目の前に現れる。閉じられたドアをノボリさんがあけると、一気にざわめきが周囲を満たし、まるで別世界にでも入ったかのような錯覚を覚えてぱちりと瞬いた。いやまぁ実際別世界にいるんだろうけども。
明るい電灯の下で、いくつかの電車と線路、電光掲示板が視界に飛び込む。人のざわめきや話し声、アナウンスの声が鼓膜を震わせると、風を起こしてホームに停止する駅や、自動ドアを閉じて出発する電車の音も混ざって賑やかしい。
時計を見ながら電車を待つ人や、速足にホームを抜けていくサラリーマンが目の前をかけていく。
その光景に、思わずふへぇ、と声を漏らした。・・・人、多いな。久しぶりに、こんな光景をみたような気がする。
基本的に学園の外に出ることはないし・・出てもバイトとかの往復だしそれにしたって電車を使うような距離ではないので、人が電車を待つ、という行為は久しぶりに見た気がした。あんまり出歩かないし遠出もしないからな、私。
しかし、なるほど。地下鉄だったのか、ここ。普通の駅かと思いきや地下鉄か・・・そういえばこの二人もサブウェイなんちゃらとか名乗ってたな。サブウェイ、って、確か地下鉄、とかいう意味だったと記憶している。最初はピンとこなかったが、こうして現場と照らし合わせると理解もできるもんだ。そもそもサブウェイよりもメトロとかの方が多分こっちではよく聞く単語だろうしな。サブウェイだと別のものが日本では連想されるよ。
・・・でもまぁ、なんか、見慣れた駅、のような、むしろ向こうの駅よりもこっちの方がなんだか近未来的というか・・・。やっぱりどこか違う。そう思いながら物珍しくきょろきょろと辺りを見回していると、ぬっとピエロ染みた笑顔が視界に入り、思わずひっと喉をひきつらせた。ちょ、開き気味の瞳孔超こえぇ!!
「あは、トオコすっごく珍しそう。トオコは地下鉄初めて?」
「いえ、初めてでは・・・でもここまで大きな規模のものはあまり見たことはありませんね」
「ほう、トオコ様はここ以外の地下鉄もご存じで?」
何に興味を惹かれたのか。相変わらず下がった口角でちっとも笑顔なんぞ見せないのに、声だけは妙に明るく弾んだ調子で、無表情なのに興味津々、という矛盾を隠しもしないノボリさんに、器用な人だな、と思いながら私はあいまいに言葉を濁した。
「え、あぁ、まぁ。・・・それよりも、このたまごを預ける場所などはないでしょうか?」
あまり、自分のことは話さない方がいいだろうか。下手なこと言って対処しきれないことになっても困るし・・・。隠すようなことではない、と思いつつも、話したところで望む対応が得られる可能性も低いことに、思わずため息が零れそうになった。・・・送還術に巻き込まれて見知らぬところにいたんです、とかそれどんな厨二病?ってもんだ。現実と妄想は区別するように、と痛いものを見る目で見られても仕方ないだろう。そんな目線は御免被る。事実なだけに歯がゆいし。
それでもここで溜息なんて吐いたら感じ悪そうだし、ぐっと堪えて流れ上、ずっと抱えている他なかったたまごを撫でて背の高い二人を見上げると、ノボリさんはあぁ、とぐっと山形になった口元で一つ頷いた。
「それでは、案内所に。職員に預ければ問題ないでしょう」
「トオコ、気絶しててもそれずっと抱き抱えてた。大事なんだね」
「大事といいますか・・・自分のものではないので、乱暴に扱うわけにも」
「え?」
まぁでもたまごなんだから、元より雑に扱う気にはなれないが。よいしょ、とカーディガンにくるまったままのそれを抱き直すと、クダリさんは笑顔のままきょとんとした顔をした。
「それ、トオコのたまごじゃないの?」
「違いますよ。これは・・・拾ったんです」
「たまごの遺失物もないわけではありませんが、珍しいですね」
・・・・・・・ん?
「・・・たまごの落し物が、あるんですか?」
「あるよ。みんなよくここで孵化させる!」
「え?ここで?」
「それでも早々にたまごを落とすことなどないのですが・・・トレーナーの方も探していらっしゃるかもしれません。預けに参りましょう」
「え?いや、え?」
待って。すごいナチュラルに言ってるけど可笑しくない?内容可笑しくない?だってたまごだよ?買い物帰りにうっかり買い物袋ごと電車に置き忘れちゃった☆ってレベルの問題じゃないよ。だってこんなに大きいよ?てかさっきのクダリさんの発言も可笑しいよ。駅で孵化ってどういうことだ。よくしてるってなんだ。ここで四六時中温めてるの?いいの?ねぇそれいいの?迷惑行為にならないの?許可してるの?ここ駅だよね?一般公共施設だよね?どういう施設なの!?
溢れんばかりの疑問が脳内を埋め尽くすのに、それがさも当然で、一般的で常識的なことだとばかりに平然としている二人に、その疑問をぶつけることは何か墓穴を掘りそうで怖くて言えない。じゃぁこっちだね!と元気よく歩き出すクダリさんの後に続いてノボリさんがピンと背筋を伸ばしてついていく、その後ろ姿を眺めて、私は俯いて眉間に指を押し当てた。
「・・・やばい・・私の常識が通じない世界なのか・・・?」
益々迂闊な発言ができないわけだが、最早何が地雷なのかの検討すらつかない。マジで、どういう世界なんだ、ここ。
立ち止まって唸る私に、いくらか先を進んでいたクダリさんが立ち止まり、心配そうに声をかけてきた。
「トオコ様?いかがなさいました?やはり、まだ体調が・・・」
「あ、いえ。大丈夫です、えっと、たまごを落とすなんてその人もきっと今頃慌ててるんだろうなって。」
「ですが・・・クダリ!」
「なぁに?ノボリ」
顔が仏頂面なのに心配してるのがわかるってどういうことだこれ。そう思いつつ、心配させるのは本意ではないので、慌てて言い繕うと、ノボリさんは浮かない顔をして、先を歩いてたクダリさんと呼び止めた。
クダリさんは素直に、小首を傾げながらこちらに近づいてくる。
「クダリ、あなたはこのたまごを案内所に届けてくださいまし。わたくしたちは一足先に病院に向かいます」
「うん、わかった」
「ではトオコ様、行きましょう」
「いや、そんなに急いで病院に行かなくても大丈夫ですよ?」
私の腕からするりとたまごを抜き取り、クダリさんに丁寧に渡すノボリさんにおろおろとたまごと彼を見比べる。
ちょっと項垂れてた程度でそんな心配することはないんだが、と困惑の眼差しを送れば、クダリさんはたまごを抱えてにこ、と目を細めた。
「ノボリの心配、当然。今は平気そうでも、何が起こるかわからない。早めにお医者さんに診て貰うこと、とっても大事。たまごのことなら任せて」
「でも・・」
「クダリの言うとおりにございます。何かがあってからでは遅いですから。早急に診て頂くべきかと」
「・・・そう、ですね。わかりました。お手数をおかけします」
「気にしないで。元はといえばこっちのせい。じゃぁノボリ、ちゃんとトオコ送ってあげてね!」
「勿論でございます。さぁ、トオコ様、参りましょう」
正論すぎて反論もできない。自分が倒れていた状況が分からない分、余計に何も言えなくて、私はノボリさんに背中を押されて促されるまま、ちらりとクダリさんを振り返った。
クダリさんはニコニコと笑顔で片手を振ってきて、まぁ、この駅の職員さんなんだし、彼にたまご預けるのが一番いいことなんだよな、と思い直して私は小さく会釈をすると前に向き直った。自分的にはなんら体調に問題はないと感じているのに、いくらか駅側の不手際?があったとはいえここまで気を配られるとなんとも居心地が悪い。まぁ、でも実際本人は無自覚で、という事例もないわけじゃないので、念のため、早めに、というのも実に納得のできる事柄だ。
しかしそもそも巻き込まれたかどうかすらあやふやなんだが。てかマジで、どういう状況だったんだろう?これは一度ちゃんと聞くべきか。
というかお仕事いいのかな、この人。クダリさんもだけど。そういえば駅員にしては恰好派手なんだけど、なんか役職があるんじゃないの?お偉いさん?よくわからないが、このまま付き添わせていいものだろうか、とちらりと思ったが、そもそも二人が率先して行動しているので、多分問題はないのだろう、と思い直す。何かあるなら他の人に任せるんだろうし。制服についてはもしかしてこれがここの標準なのかもしれないし。・・・・・・・・・こんな派手な駅員がそこかしこにいたら嫌だけどな。それも慣れというものか、と小さく息を吐いて、地下鉄の出入り口にあたる長い階段を見上げた。
・・・さて、この外の世界は、どういう世界なんだろうなぁ。
目を開けたら見知らぬ天井がありました。・・・・・あー・・・。ぼんやりとその見覚えのない少々薄暗い気もする電燈を見つめつつ、朦朧とする頭を正気に戻すように、横たわっていたソファからむくりと体を起こした。その拍子に親切にも誰かがかけておいてくれたのだろう、薄手の毛布がずるりと滑り落ちたので、完全に床に落ち切らないように引き寄せて、改めて周囲を見回した。
強烈な光を前にして、ただ目が眩んでいたのか、それとも気を失っていたのか。どちらかは定かではない。けれど、横たわっていたということは多分意識を失っていたのだろう。ベッドではなくソファである辺り、ここが誰かの自宅、自室であるという可能性は低そうだ。見える範囲の部屋の様子はパイプ椅子に業務的な机、液晶テレビに振り返った奥には流し台と電子レンジ、それから冷蔵庫とコーヒーメイカーという簡易的な給湯室。
狭い、とは言わないが広い、とも言いきれない空間でそれだけのものが犇めき合っているのだから、どちらかというとこれは個人宅ではなくてどこぞの仕事場の休憩室、みたいなところだろうか?
職場・・・・?え。私どこぞの職場にきちゃったの?うわぁ、しかも気絶とか迷惑も甚だしい・・・いや原因は私ではないが、事を起こしているのは自分なのでうわぁ、という気持ちを隠せないまま項垂れ、ついではっとしたように顔をあげた。
「たまご!」
咄嗟に声をあげ、視線を動かせば、先ほどはスルーしていた机の上に、私のカーディガンに包まれたたまごが静かに鎮座している。割れた様子もなく無事な姿にほっと安堵の息をついて、ソファから足を下ろすと、そろそろとたまごに向かって足を向けた。・・・ここがどこだか知らないが、私が知っているのはこのたまごだけである。そして、学園長の言葉を信用するのならば、恐らくここはこのたまごがあった元の世界、のはずだ。まったく別次元だったり予想を外して別にどこにも移動していないのならばいいのだが、まぁ。見知らぬ場所にいることは確定的なので、私は不安な気持ちを押し殺すようにそっとたまごに手を伸ばし、そろそろと抱きしめた。
なんとなく、抱きしめていると落ち着くのは抱きかかえるのに丁度いいサイズだから、それともこれが生きているからか。多分有精卵っぽいよな、と思いながらたまごを撫でて、私はさて、どうしよう、と首を捻った。
「・・部屋の様子からみるに、文化レベルはあんまり違いはなさそうだけど・・・」
少なくとも古き良き日本みたいな感じではない。それだけでもほっとしつつ、いやいっそそれぐらい遡ったほうが楽だったのかしら、と思わないでもなかったが、どちらにしろ面倒には違いないので私はため息を零す。
人に合っていないからどうとも反応ができないのがもどかしいが、かといって見知らぬ場所でいきなり外に飛び出るのは危険すぎる。冷静に、冷静に。だいじょうぶ、初めてじゃないんだし。悲しいことに。
幾度、いや幾度もあることじゃないんだけど、それでも何度かこういうことはあったのだから、取り乱さずに冷静に。状況分析に努めるのだ。自分に必死に言い聞かせながら、もう一度ソファに戻ってゆっくりと腰かけた。
まぁ、いきなり未確認生物が跋扈するジャングルに放り出されなかっただけでもマシと思わなければ。うん。あのヒエラルキーの底辺三角形の最下層に位置していた決死のサバイバルでないだけマシと思え。
こうやって座ってのんびりと考察できるのだから、恵まれてるよ、私。生まれ変わったわけでもないんだし!
「あぁでも意味わかんない・・・」
何故に巻き込まれた自分。そもそも学園長がうっかり呪文唱えたりするから!ていうかあんなのであっさり発動するのもどうなの!てかたまご限定なんだから私すり抜けてたまごだけ返せよ!なんで私まで道連れにするんだよ!日向先生なんて保健委員会みたいに不運に巻き込まれて苦労すればいいんだ・・・!
ふつふつとわき起こる不満を押し殺しながら、しかし現状、この部屋で読み取れるものなどたかが知れている。テレビを勝手につけるのはやはり気後れするので一番の情報源だとしても手が出せず、じっと黒い画面を凝視して結局人がくるまでわからないままなのかなぁ、とどさ、と背もたれに背中を預けると、しばらくして部屋の外に続くであろうドアの向こう側が、にわかに騒がしさを訴え始めた。話し声と、足音。近づく複数の人の気配に、背もたれによりかかっていた体を起こして少しだけソファの上を移動した。端によって、ドアからの距離をほんの少しだが稼いで、気配を探るように意識を向けながら、きゅっとたまごを抱く腕に力を込めた。
半ば反射的な緊張だが、相手が何者かもわからないので、致し方ない。ドアを注意深くみていると、やがて話し声とともに、割と勢いよくドアが開いた。もうちょっと大人しくは開けれんのか。小さな突込みは胸の内だけですませて、部屋に入ってきた人影に、私はぴくり、と眉間に皺を寄せた。・・・・うん?
「あ、目が覚めてる!ノボリ、あの子起きてるよ!」
「少し静かになさいまし、クダリ。相手の方が驚いておられます」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・派手だな、色々と。部屋に飛び込んできた白、そのあとから続く黒。なんだか色こそモノトーンだが、形がいささか奇抜なコートに身を包み、全く同じ顔をした、しかしまったく違う表情をした双子が足音も荒く近づいてきた。正確にいえばドタバタと忙しない足音なのは白い方の人で、黒い方の人は割と静かに近づいてきているのだけれど。そんな見知らぬ双子を眺めつつ、思わず視線が向かうのは開き気味の動向でも不自然なまでに吊り上った口角でも下がった口角でもなくて、顔の横のやたら鋭角的なもみあげである。・・・どういう形・・・?
ていうかあれはもみあげ?もみあげなの?なんか、うん。武器にできそうな感じでとっても鋭い。堅そうだな、とかどうでもいいことを考えていると、白い方のお兄さんが、ソファの端に腰掛ける私の前にずいっと顔を近づけて満面の笑みを浮かべた。まぁもともと笑顔だったけど。
「ね、もう大丈夫?痛いところない?」
「え?えっと・・・はい。特に問題は」
「そっか、よかった。ホームで倒れてるんだもん。ぼくとっても心配した!」
「ホーム?・・・すみません、ご迷惑をおかけしたようで・・・」
「いえ、こちらこそお客様を巻き込んでしまい申し訳ございません。此度の不始末、ギアステーション一同心よりお詫び申し上げます」
テンション高い上に、見た目に反してどうにも幼い口調の男性に困惑しつつも、面倒をかけたことを謝罪すれば、むっつりと仏頂面で黙っていた黒い方の男性が、きっかり九十度腰を曲げてやたら丁寧な口調で逆に謝ってくる始末。
事情が呑み込めず(知らない単語が出たな・・ギアステーション?)疑問符を浮かべながら、きっちりと下げられた頭に狼狽えて視線を泳がせた。
「いえ、そんな・・すみません、私、今どうなっているのかよくわからなくて・・・」
謝ってくる理由もここがどこなのかもさっぱりなのだ。どういう反応が正しいかもわからず、困ったように眉を下げると、白い方の男性がやっぱり口角を持ち上げたままこてん、と小首を傾げた。いい年した成人男性のように見えるのになぜかその仕草に違和感を覚えないのは、彼が持つ雰囲気のせいだろうか。
「覚えてない?君、駅のホームでトレーナーのバトルに巻き込まれて気絶してた」
「バト・・・!?え、なんですかそれ」
「こちらの管理不行き届きにございます。ただバトルするだけならいざ知らず、他のお客様を巻き込んでしまうとは・・・誠に申し訳ございません」
え、なにその不吉な単語!ここ物騒な世界なわけ!?バトルとかどうとうか、全うに生きていればまずあまりきかないような単語に、しかも駅のホームで起こるとか?なにそれ超危ない。それに巻き込まれたという解釈はいまいちわからないが、どうやら私のポジションはそのバトルに巻き込まれた被害者?のようである。
そしてここが駅の・・恐らく職員の休憩室かなんかそういう部屋だということをおぼろげに察して、はぁ、と曖昧な返事を返した。
「もう、最近のトレーナーマナーがなってない!ここでバトルしていいのは電車の中だけ!」
「確かに、最近のトレーナーの中には目に余る行為をされる方が増えていらっしゃいますね。こちらもなんらかの対策を取らなければ・・・」
いや電車の中もダメだろ。人が密集してない外でやれよ、あるいはそういう専門の施設でやれよ。駅でなんのバトルか知らないが、やらかしちゃだめだろ。なにかずれた発言をしているお兄さん方にひっそりと突込みをいれて、とりあえず物騒そうな世界、という認識で私は眉間を解すように指を添えた。うむ。さっぱりわからんぞ。
ぷんぷん、と擬音が似合いそうな頬の膨らませ方で怒っているお兄さんに、至極真面目な顔で同意をしている黒いお兄さんは、それはそうと、と話を切り替えるようにどこか威圧的な・・・隣が常に笑顔な分嫌でも目に付く無表情と、やっぱり開き気味の瞳孔で見下ろしてきて、ひっと思わず肩をすくめた。帽子の影も相まって怖いんですけどお兄さん・・・!
「目が覚めましたら、是非にも病院に。見たところ外傷はないようですが、バトルに巻き込まれたのですから検査は必要かと」
「え?あ、でも・・・」
「大丈夫!お金ならこっちが出す。今回のこと、トレーナーとぼくたちのせい!だから安心して?」
「そうでございます。貴女様は何もお気になさらず、病院で検査を受けてくださいまし。もしものことがありましたら大変にございますから」
「はぁ、何から何までありがとうございます・・・?」
まぁ、バトルに巻き込まれたとかどうとかははっきりいって不明なわけだが、代金も向こうが支払うって言ってるんだし?外にも出れるし、こうなればきっとどんな物騒な世界だとしてもきっと安全は保障してくれるんだろうし?
状況把握のためにも、ここは逆らわずに流れに身を任せた方が吉、かな。断ってもなんかゴリ押ししてきそうな気がしないでもないし・・・。とりあえず、向こうがなんか勝手に色々進めてるんだから、一旦それに任せて、現状が理解できるまでは無難に沈黙を守っていた方がよさそうだ。・・・理解できんのかな?これ。
とりあえず今出てきた単語の中でも、やっぱり自分のいたところとは違うっぽいな、と諦めのため息を零すと、白い方のお兄さんが、そうだ!と声を弾ませてずい、と顔を近づけてきた、
その近さに咄嗟に体をのけぞらせると、お兄さんはなんかもう常に笑顔すぎて怖いというほかない笑顔で、楽しげに口を開いた。
「君の名前、まだ聞いてない!教えて?」
「あ、そうですね。名乗らずにすみません。私は中村透子と申します」
「トオコだね!ぼくクダリ。サブウェイマスターしてる!」
「同じく、わたくしサブウェイマスターのノボリと申します。トオコ様、動けるようでしたらわたくし共と病院に向かいましょう」
楽しげに自己紹介をする二人に、サブウェイマスターとはなんぞや?なんて聞ける空気でもなく。かといってノボリとクダリとかまた変わった名前だなぁ、なんて失礼なこと言えるはずもなく。
とりあえず、白い方がクダリさんで、黒い方がノボリさんなんだな、とまるでいつぞやの変装名人と大ざっぱな先輩を思い出しつつ、まぁでも表情が真逆だからわかりやすいよな、と私は曖昧な笑顔で、差し出されたノボリさんの手を取った。
・・・・・・・・そういえば保険証とか身分証も何も持っていない状態だが、大丈夫なのかな?ここがどういった世界かはわからないが、身分を証明できるものはこの世界に何一つとして存在していないだろうことに、一抹の不安がよぎった。・・・・それに、このたまご、どうしようかな。抱きかかえたままのたまごの処遇も頭を悩ませつつ、わが身に起こった一大事に、ガンガンを頭が痛む思いで、もう一度、ひっそりとため息を零した。
誕生日のコメント送ってくださった方ありがとうございます。何歳になってもおめでとうの言葉は嬉しいものですね。
レスで返すと時期外れもいいところになりそうなので、とりあえず誕生日コメにだけはここで!
ありがとうございます!
さて更新がまったくできていないのでリハビリがてら小噺を投下です。
utpr傍観主 in ???
とりあえず学園長贔屓なこのサイトどうにかするべき。小話の相手が基本学園長なんだけどどうなのそれ。
さておき、どんな世界に行くのかは待て次回、で。・・・あるのかな?次回・・・。
こーいうのって、日記じゃなくて普通にアップするべき?いやでも続かせる自信がないからな・・。
お試し兼発散場所がここなのでぶつ切りでも唐突に始まって唐突に終わっても大目にみてくださいませ。