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足首を掴まれてぐいっといささか乱暴に持ち上げられる。必然的に高く上がった足とのバランスを図るように後ろに仰け反った上半身は、自身の腕で体を支える前に堅い何かに当たって動きを止めた。床に倒れ込むことはなかったが、変わりとばかりに、するりと腰に何かが回されて、脇腹の辺りを擽るように撫でられた。その何かが人の手であることは想像に容易く、ひぐっと喉が鳴ったのは擽ったかったからか、それとも驚いたからなのか。突然の無体にポカンとしながらも真正面を見ると、まるでルビーみたいに赤い双眸が、弧を描くようにしなやかに細まる様が見えてぞわっと背筋に悪寒が走る。
声を詰まらせた私に構う様子もなく、高く持ち上げた足の間に体を割り込ませたそれは掴んだ足首からズボンをめくり上げるように徐々にあげていって、ふくらはぎを露わにしていく。その光景をあっけにとられて見つめていれば、今度は脇腹を撫でていた手でやや下に下がり始め、シャツの裾から指先を服の下に侵入させ始めた。
「え、ちょ、な、やめ!」
そこでようやくこの状況から逃れようと身をよじり足をばたつかせようとしたが、後ろから腕ごと上から抑え込まれて上半身の動きを制され、さらに膝の上から片足を抑え込まれ、もう片足はやはり持ち上げられたままズボンの裾をたくし上げられ続けていつの間にか太腿まで上がっている。もっとたくし上げにくいズボンにしてればよかった。今更の後悔をしてみるが、その間にもシャツの裾から入った指先は怪しい動きで腰を撫で、少しばかりズボンのウエストを引き下げると、何かを辿るように指先でつぅ、と素肌を撫でる。ぞくっと肌が泡立ったが、太ももの際までたくし上げられたズボンから大きな手のひらが腿をするりと撫でてきたから最早どちらに対して反応したのかわからない。
薄い皮膚の部分を撫でるように手のひらを動かして、柔い肉に軽く指先が沈む。それから、更にぐいっと太腿を押し上げるように力をこめられると、胸につくぐらい足が曲がり、窮屈な体勢になった。
「あぁ、やっぱりな」
「ふむ、こちらも想像通りだ」
突然の奇行、というよりもこれはもはやセクハラというか軽く訴えられるレベルの無体にどう口汚く罵ってやるべきかと思いつつ、過去のトラウマもちょっと蘇りながらがたいのいい男二人に前後から挟み撃ちにされて私もう死にそうです。泣きそうじゃない。死にそうだ。あと足苦しいです。この体勢きっついですよ?!
眉根を寄せつつ、まじまじと人の足の根本を見つめる青い髪をした男と、人の腰を執拗に撫でる赤い髪の男に、もうこいつらマジなんなの、と拳を握った。今生で!私君たちとほぼ初対面なんですけど!?
「礼呪が三つもあるとか、破格の待遇だな。マスター?」
「儂のパスは腰から、青いののパスは腿から、か。手の甲のものとは繋がりが感じられんはずだ」
「・・・え?」
「くく。やーらしぃとこに出たな?マスター。まあ、普段は見えないところだ。周りには早々ばれねぇだろうよ」
「そうさな。手の令呪にだけ当面気を付ければよかろう。嗚呼、それにしても――」
ずるり。腰を撫でていた手は更に上にあがる。へ、と気の抜けた声が出たが、ひんやりと空気が地肌に触れて、露わになった腹部に目を丸くした。
「随分と刺激的な恰好とは思わぬか?主よ」
「いーい眺めだよな、ホント」
「っ!?っ!!???」
獰猛に目の前で赤い舌先が舌なめずりをする。腹部を撫でる手は更に上へと上り始め、私はあ、これやばい。色んな意味で。と顔を蒼褪めさせると、懇親の叫びをほとばしらせた。
姉さん、マジでこの二人返却したいんですけど、どうしたらいいんですかね!?
何が彼の人の心に影響をもたらしたのか。何が彼女を変えたのか。その理由はわからなかったけれど、確固たる決意を秘めた魂は、あまりにも美しく、鮮やかに、その輝きを増しているから。
元々、綺麗な魂を持つひとだった。清らかなる魂は、きっと私のような存在を惹きつけて止まないのだろう。けれど、それはあまりに弱く脆弱で、ぼろぼろに傷ついていた。もう嫌だと泣いているのに、それでも確かにあり続けるその弱さに惹かれた。ぼろぼろに傷ついて、脆く吹けば消えそうな光なのに、それなのに消えずにそこにあり続ける。泣きたくなるほどに、可哀想な魂が、たまらなく愛しかった。その弱さを愛した。その儚さを惜しんだ。触れれば、暖かな魂こそを、尊んだ。
だから呼び声に応えたのだ。だからこの人の元に舞い降りたのだ。その弱弱しくも、清く暖かな魂に惹かれたから。
それが、一体どうしたことなのだろう。
「キャスター」
あの人がこちらを見る。今までにない覚悟を秘めた眼差しで。
あの人が手を握る。今までにない決意が籠った力強さで。
あの人が口を開く。今までにない熱を込めた声色で。
「私、聖杯が欲しいの」
あの人が言う。今まで一度も口にしなかった願いを。
あの人が請う。今まで一度も願わなかったことを。
あの人が囁く。今まで一度も見せなかった欲を。
「どうしても。何をしても――誰を殺しても」
あの、弱く、脆くて、甘く、優しい人が。
命が惜しいと脅えながら。死にたくないと凍えながら。それでも、他者の死に恐れを隠せなかったこの人が。
「だから、力を貸してほしい。私に勝利を与えてほしい――私に、この戦争を勝ち抜く力を、ちょうだい」
今、己が弱さを飲み込んで、立ち上がったのだ!!
ああ、ああ。なんて、なんて美しい魂。傷つき震える魂が、その弱さをも自覚して決めた悲壮なまでにまっすぐな願い。淡く優しい光が、その瞬間熱を帯びた輝きに生まれ変わる。
恍惚としたため息が零れる。何より惹かれた魂が、生まれ変わるかのごとくその熱を増す姿に。
「――私は、ご主人様の目であり、耳であり、手足であり」
そっと、手を握り返した。恭しく掲げ持つかのごとく、両の手で、白く小さな手を取って。
「ご主人様の敵を屠る剣であり」
強くこちらを見つめる癖に、泣きそうに揺れる瞳を見つめ返して。
「貴女を、あらゆるものから守る盾」
そっと、赤い刻印に、口づけを落とした。
「貴女の欲するすべてを、私の全てで、手に入れて見せましょう―――我がマスター」
何がこの人を変えたのか、そんなことは知らない。
何がこの人に悲壮な決意を固めさせたのか、そんなことは知らない。
だが、それでもこの人が、ただ一つ。欲しいものがあるというのなら。
「ありがとう・・・っキャスター」
私は、それを手に入れる。それで貴女が、微笑んでくれるなら。それで貴女の、悲しい決意が報われるのなら。
私は、貴女のために戦い、そして勝ち続けてみせましょう――マスター。
「うーん、今回はラニルートで行こうかなー。前は凛ルートだったしー」
そんな、ささやかな呟きだった。通りすがりざま、聞こえたそれに思わず彼女を振り返ったのは、単純に知り合いの名前が出ていたからにすぎず、別段少女の何が目を引いたわけでもなかった。
ただすれ違っただけだから、顔もちゃんと見ていない。ただ遠ざかる背中で、栗毛色の髪をしていることだけが認識できた。恰好も、凛やラニのようにアバターのカスタマイズをしているわけではないのか、私と同じ仮想の学校の制服のままである。別段、格別に目を引くようなことはなかったが、それでも、耳に届いた知り合いの名前は、なんだかとても奇妙な響きを帯びていたように思った。・・・ルート・・・?
「・・・・変な子」
なんだ、ルートって。人の名前の後につけるもんではない気がする。まるでゲームのような言い方だな、とささやかな疑問を覚えた、一回目。
疑問が疑念に変わったのは、凛とラニの闘いに、ある少女が割り込んだ、という話を聞いてからだ。いや、それを聞いたことは、実は何度かある。まぁ聞く前に敗戦したり、ちょっとまぁ色々反則技に引っかかってしまったりということがあったので毎回というわけではないが、それでも、三回戦まで終えることができれば、いつも、その話を聞いていた。それは真っ先に凛やラニから聞かされたりそこらのNPCからの情報だったり、他のマスターからの噂だったりと、情報源は様々だが、このループの中で、三回戦を終えると必ず起こる出来事だった。
しかも、いつも凛とラニの戦いの中で。他の人たちには起こりえないバグではあったが、ループという現象の中、同じことぐらい起こるだろうと深くは考えていなかった。どちらにせよ、知り合いが生き残ったという事実に勝るものはない。しかも片方などは、参加権をなくしたというのに生存できているのだ。聖杯を手に入れることはできなくなったが、その命が失われることがなかったのが、ただただ嬉しく、彼女たちの間に割って入った誰かに感謝すらしていた。
あぁ、でも、そういえば、助けられた方は、毎回同じではなかった。それはどんな運命のいたずらなのか。サーヴァントを失うのは、いつも凛かラニ、どちらか一方だけで、どちらも、ということはなかったし、そしていつも、同じ人ではなかった。気まぐれのように、助けられる側は変わっていって。やがてどちらかと対戦するときもあったし、その前に敗退することもあった。
そして、今回。サーヴァントを失い、それでも生き残ったのは、ラニの方だった。出会い、話して、よかった、とその手を握って。――不意に、あの女の子の「ラニルート」という言葉が脳裏を過ったのは、一体どんな神様の悪戯だったのだろう。ちくりと、心臓に棘が刺さったような小さな違和感が、その時から抜けなくなった。いや、むしろ、周を重ねるごとに、違和感は膨らんでいくようで。
そこから、だろうか。なんとなく、彼女たちの周りを注視するようになったのは。そこで気が付いたのは、時々凛やラニの周りに、特定の女の子が近づくこと。彼女はひどく親しげに凛やラニと接していること。と、いうか、アバターの改変をしているような腕利きの面子に、よく絡んでいるような気がする。大体見かけるのがそういう場面だったし、それ以外はまるで興味がないとばかりにすれ違うばかりで。そういえば、私が凛やラニと話しているときにも絡んできたっけ。そのときは、・・・なんかすっごいじろじろと見られたような・・・なにこいつ、と言わんばかりの視線で、居た堪れなくて離れたっけ。それから、それから・・・・サーヴァントが、毎回違うこと。毎回というか、意識し始めてから、というだけなので実際はどうなのかはわからない。でも、他の面子は変わらないのに、彼女のサーヴァントだけコロコロ変わる。まぁ他の面子といっても私が知っているサーヴァントなんてたかが知れているが。それでも、あぁ、そういえば、凛のサーヴァントだったランサーが、彼女のサーヴァントだったこともあった。そのときは、凛のサーヴァントは、赤い外套に褐色の肌をした男で・・・ふとデジャブのようにどこかでみた気がする光景だったようにも思えたが、よくわからないままで終わってたな。まぁそれはどうでもいい。ただ、そうだ。彼女だけが、繰り返すこの果てのない聖杯戦争の中で、唯一、大きな変化を与え、また、凛とラニの生き死に関わっている。・・・まぁ、彼女たち自身はあんまり彼女と関わりたくないようなんだけど。曰く、「妙に馴れ馴れしい」「現実見てない夢見思考でイラつく」「時々上から目線」とか・・・特に聖杯戦争という生死のかかる現場なだけに、戦争そっちのけな部分が二人・・・まぁ主に凛の癪に障るらしい。ラニは、まぁ、よくわからないから近づきたくないとのことだが。なんだろう。嫌いってほどじゃないけど近くにはいたくない、って感じなのだろうか。
・・いやしかし妙に馴れ馴れしいって、私にも適応されなくね?と内心びくびくだったが、まぁ、内心はどうであれ見た目そうでもないのでよしとしておこう。でもとりあえず自重はしておこう。さておき、だ。
観察していれば、おのずと彼女が何かから逸脱していることは容易に知れた。それはある意味で私もなのだろうが、それでも、彼女もまた、異質であることは明白だ。
真実、それを理解できたのは、図書館の本棚の影。参加者も減り、NPCがせいぜい数人いる程度の、静かな本の海の中で。
「そろそろこのゲームも飽きてきたなぁ。サーヴァントはかっこいいけど、対戦相手も同じだし。ムーンセルももうちょっとバリエーション増やすとかしてくれないかなぁー」
退屈そうな声が聞こえる。聞き覚えのある声に視線を泳がせれば、本棚の隙間から栗毛色の髪が見えた。
月海原の制服を纏った生徒の姿。見覚えのある後姿だった。どくりと、心臓が嫌な音をたてた。
「サーヴァントも目新しいのとか・・・いや皆かっこいいけど。ループしたら好感度最初からってのもねぇ、引き継ぎ機能とかあればいいのに・・・。あ、四次のサーヴァントとか出てこないかな。それで、今度は四次時空に転生!とかしちゃって、災害回避とかしちゃってー。鯖峰とか鯖嗣とかでてきても楽しそうっ。あーでもそれならサーヴァントにエクストラのも出てほしいしなー。逆ハーレム展開よっしゃ!・・・よし。これ優勝したら、ムーンセルに別のサーヴァントか、新しいイベントでも起こるようにお願いしよっと」
お願い事きっまりぃ、と楽しげに笑って。図書館でなんの本を借りるでもなく、さっさと出ていく背中を茫然と本棚の影から見送る。彼女の声が聞こえなくなれば、やはり図書館の中は静まり返って、やけにその静寂が耳についた。
どくどくと鼓動を打つ心臓が早い。じっとりと手に汗が浮かんで、口の中がカラカラに乾いていた。
彼女は、何を言っていた?なんといっていた?ゲーム?バリエーション?引き継ぎ?
何を、馬鹿なことを。
この世界は現実で。負ければ死ぬ世界で。戦いは本物で。思いは真実で。例え繰り返しの中で、それらの感覚が摩耗していたとしても。いや、もしかしたらそうなのかもしれない。彼女も記憶を持ったまま繰り返していれば、これは現実ではなくゲームなのだと認識したのかもしれない。それは、あるだろう。繰り返しなど起きないはずの世界で、繰り返しが起きたのなら。ゲームなのだと、思わなければ正気を保てないのかもしれない。だが、それでも。
ここにいる人間の、想いを、願いを、生き死にを、遊びのように考えることは、同じ空間にいる者として、犯してはならない心の領域のはずだ。何よりも、そう何よりも。
彼女のそれは、明らかに、彼女がこの現象を望んだことのように聞こえなかったか?
もしも。もしもだ。私のように強制ループの果てに、ここがゲームだと思っているのなら。それは心を守る防波堤なのだから、甘んじて飲み込もう。確かに、ゲームっぽいよな、とは思うし。けれども、もしも、最初から。彼女が望んでこの果てない繰り返しを選んだのなら。彼女が自らこの繰り返しを起こしているのだとしたら。
彼女の意識が、最初から、ここがゲームで、遊びなんだと、思っていたとしたら。
そのせいで、私は、彼女たちは、この世界は。先に進むことも、戻ることもできず。何度も、死んで、生きて、恐怖して、後悔して、決意して。そうしてこの戦いに挑んでいるのだとしたら。
そんなこと、認められるはずないじゃないか。
はっ、と詰めていた息を吐き出して、じっとりと浮かんだ手汗を制服のスカートでふき取るどくどくと騒がしい心臓に手をあてて、ぐっと握りしめた。
許せない、と思った。もしも、この想像が事実なら。あの少女の遊びのような感覚で、この恐ろしい出来事を繰り返しているというのなら。それは、この戦争に参加する誰かのための感情だったのかもしれない。それは、この戦争で親しくなった友のための憤りだったのかもしれない。それは、ただの個人的な、恨みだったのかもしれない。
踏みにじられた。きっとなんの自覚もなく。ゲームのキャラだから。あるいは、ゲームのキャラにもなれないような脇役だから。他者の思いも経験も痛みも恐怖も喜びも全て。ゲームだから、たったそれだけの言葉で、踏みにじられた。無視された。そんな、そんなことってない。
そんなことのために私は死ぬの?
そんなことのために私は死んだの?
そんなことのために、凛や、ラニや、レオ君たちは死んでいったの?
こんな、こんな繰り返しのために?
こんなことのために、私は、優しいサーヴァント(キャスター)を犠牲にしてきたの?
彼女の心を、命を。その優しさにつけ込んで、甘えて。道連れにしてきた。いつだって。痛い思いをしてきたのはキャスターだ。死ぬような大怪我を負うのはキャスターだった。その背中に庇われて。大好き、と、私は悪くないんだと、いつもいってくれた、あの優しいサーヴァントの心を踏みにじって。私を思う心を裏切って、そうやって、いつだって、彼女を犠牲にして、私は繰り返してきたのに。それなのに、それが、こんな、こんな理由の、繰り返しで?
謝罪などなんの意味もない。絶望も後悔も何もかもを飲み込んで。
「・・・勝たないと」
呟きは本の海に消える。それでも、その時初めて。私は、初めて。
「絶対、勝たなきゃ」
生きたい、という願い以外で、勝ちたいという欲を持った。勝利を、欲した。今まで、そんなこと思ってなかった。生きたいということと、勝ちたいということはイコールではなかった。勝ちたいわけじゃなかった。聖杯が欲しいわけでもなかった。だけど今。私は。きっと、凛や、ラニや、レオ君たちと同じぐらいに。
「聖杯(勝利)」を、欲していた。
「お守り、かな。一回だけしか多分効果ないだろうけど」
そういった彼女の微笑が、なぜか脳裏に焼き付いて忘れられなかった。
あの妙に馴れ馴れしい少女が、私と遠坂凛との戦いに割って入り、遠坂凛を助けたあと、予選で知り合い、それからも交流を続けている少女が私に手渡したものがある。少女の魔力が込められた礼装らしい。少女曰くただのお守り、との話だが、今は廃れたはずの魔術に近い何かを感じるそれは、ウィザードとして大変興味深くも不可思議だった。解明したい欲求と、けれど少女が作り、くれたものという一点において鬩ぎ合う何かが、胸中ではじけて消えていく。これはなんだろう。知らない感情。知らない思い。とくりと胸打った鼓動の意味を理解できず。けれど彼女曰く「お守り」を身につければ、どことなく嬉しそうに彼女が笑うから、やはり作り物の心臓がとくりと動く。だからこれは、このままにしておこうと思った。
作りを、中に込められた魔力なのか、もっと別にエネルギーの集合体なのか。それらを解明せずに、取っておこうと。
ちりり、とすずらんの花を模した石が擦れあう。動く度に微かに揺れ続けるそれが、最期に互いの体をぶつけあって、砕け散る。きらきらと。石が崩れて、ただのデータに。0と1に溶けて消えて。跡形もなく。まるで、闘いに負け、電子の海に消えた、彼女のように。きらきら。きらきらと。
「・・・どうして」
私は負けた。あの少女に負けた。私と遠坂凛との戦いに割って入った、奇妙な少女とそのサーヴァントと闘い、負けたはずだ。負けたものには死を。敗北者はこの世界からの強制排除が待っているはず。なのにどうして。どうして。どうして?砕けた石の行方を追いかける。驚愕している対戦相手も視界に入らない。喚くような声も聞こえない。ただ、欠片となり、消えようとする石の行方を。髪飾りの行方を。お守りの意味を。
理解した刹那、胸中を過ったのはなんだったのか、私にはわからない。
わからない、はずなのに。
「・・・・ぁ、」
微笑み。交わした言葉。繋いだ手。横を歩く姿。揺れる黒髪。正面に立つ姿。
ラニ、と、呼ぶ、声。
息が詰まるほどの衝動を、なんと名付ければいいのか、私は知らない。
内心の興奮を抑えながら、いつでも出ていけるように準備していた荷物を持って家を飛び出す。
気配の消し方というよりも、そこは昔取った杵柄。某九代目当主の魔術を駆使して存在を薄く薄くして、気づかれない内に逃げ出した。すでにこの体を縛る契約はない。手の甲に浮かんだ忌々しいばかりの赤い刻印も、正直人の精神を削る元でしかなかったサーヴァントも、その全てを押し付けて、いや、向こうが望んだのだから献上して、これでようやく私は自由の身だ。代償として家族仲が微妙になったしかつてはそれなりに良好な仲を築いていたサーヴァントとも不仲となってしまったが、それはまぁいつか時間が解決してくれるはず。黒歴史って誰でもあるし。
まぁ、多少、思うところがないわけじゃない。姉に押し付けてしまった、とも思う。自分が死にたくないから、他人を犠牲にしたのだと責め立てられれば、反論する余地もないだろう。本人がそれを決めたとはいえ、誘導するようにして策を弄してきたのは自分なのだから。そのことに少しの罪悪感。けれど解放感は計り知れない。これであのキチガイ染みた集団からもいつばれるか、狙われるか、と戦々恐々としていた戦争参加者とも、よっぽどがなければ関わることにはならないのだ。
まだまだ問題は山積みだか、それでも問題の種を一つ消化できたことは素直に喜ばしい。見つからなければいい。ばれなければいい。願いながら、まだ明るい街中を走って、昔からの友人の元へと飛び込んだ。呼び鈴を連打して、出てきた友人に飛びつく。あぁ、やっと!!
「空!作戦成功だよーーーー!!」
「やったね透子!」
あぁ、周囲も然ることながら、一番自分の精神をガリゴリと削った諸々の言動。痛かった。自分超痛かった。ブーメランどころか銃が暴発した勢いで辛かった。なにあれすいーつ()ってなにただの黒歴史というか夢なんて見る年超越したっての。
「苦節数か月!やっと、やっと契約が切れたんだよ・・・!すいーつまじ辛い黒歴史にもほどがある」
「うん。メールの愚痴もすさまじかった。スレのなんか生易しいぐらいだったよ・・・まじご苦労様」
「ほんとは電話したかったんだよー!でも誰に聞かれるかわかんなかったし!!これで全部パァになったら今までの私の苦労は!!って思ったから必死に我慢して我慢して・・・!だがしかし!これでもう何も怖くないっ」
「やっと本業に集中できるしね。まぁ、ぶっちゃけどっちもしたくないんだけど・・・」
「うん・・・ごめん空巻き込んで・・・でも夜な夜な枕元でさめざめと泣かれるのは超怖かったんだ・・・」
「いや、私のとこにもきたし。あれは、ただのホラーだったね・・・神様ただのホラーだったね・・・」
「なんで私ら、ことごとく巻き込まれるんだろうね・・・」
ミッションクリアのハイテンションも、後に待ち受ける仕事に一気に下がる。ずん、と落ち込んだ空気を出しながら、まぁ入りなよ、という空の言葉に甘えて、私はこれから同居生活を行うことになる部屋へと、足を踏み入れた。