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「四月、略」

「透子・・?」
「あれ。渋谷さん。久しぶりー」

 五センチほどの厚みのある書類ファイルを抱えた状態で声がした方向に振り返れば、そこには久方ぶりに生で見る同期の友人の姿があり、驚いたように大きな目を更に丸くさせている姿にへらりと笑いながら片手を振って見せた。相変わらずきっちりと隙なく施された化粧は崩れることなく、くるんと上を向いた睫を何度も瞬かせて、彼女はぱくぱくとまるで酸素不足の金魚のように艶やかな唇を開閉させる。
 うーん。そんな幽霊でも見たような顔をされるのもなんだかちょっとショック。

「な、なんであんたここにいるのよ!?」
「うわ、ひどい。・・・まぁ、諸事情ありまして」
「諸事情?なにそれ?ていうか今までメールも電話の一つもよこさないでおいてどういうつもりよ!?ちょ、マジで透子なの!?本物!!???」
「私の偽物を用意してどうす、うわちょ、渋谷さんっ」

 さて、どう声をかけようかな、と首を傾げると、渋谷さんはくわっと目をかっぴらき、女子としていかがなものかという猛然とした勢いで突進してくると、ぐわし、と両手で私の両頬を鷲掴んだ。きらきらのネイルが施された爪先が食い込まないように力加減はしてくれているようだが、身長差がそれなりにある分、顔を掴まれて視線を合わせるように思いっきり上向かされると首がきつい。下手したらぐきっといくよ、ぐきっと。
 そのまま頬をむにむにといじられ、頭のてっぺんかた爪先まで何度も視線を往復され、ぺたぺたと体中を触られ、廊下のど真ん中ということも手伝い非常に居た堪れない思いでされるがままになっていると、渋谷さんはひとしきり観察して満足したのだろう。というか納得?したのだろう。頬を包んでいた両手をどけて、本物ね、と茫然とした様子で呟いた。いやだから私の偽物を用意してなんの意味があるんですかね渋谷さん。

「だって透子、あんた卒業したら作曲家じゃなくて普通の学校に通うって言ってたじゃない」
「まぁそうだけど・・・」

 あぁ、そんな話をしていた時期もありましたね。そりゃそんな会話した相手が芸能事務所、しかも自分が所属している事務所で普通に廊下歩いてたら疑いもするか。私でも我が目を疑うわ。
 なら仕方ない、と苦笑をすれば、渋谷さんはため息を吐いて自慢の豊かな髪をふわり、とかき上げてむぅ、と眉間に皺を寄せた。多少猫目がちな渋谷さんの目はそれだけでちょっと険を帯びるから、目力がすごいなぁ、としみじみと思う。

「しかもあんた、卒業してから音信不通になるし。私も春歌も、音也たちだって心配してたんだよ?なんでメールの一つもよこさないわけ?!」

 心配したでしょうが!!と思いっきり怒られて、思わず首を竦めた。あー・・・思った以上に心配かけてたっぽいなぁ、これ。やばい、結構楽観視してたというかこっちは大体彼らの動向を把握していた分、ズレ感が半端ない。そうですよね。私は大体みんなの状況知ってますけど、皆は私の状況なんてちっとも知りませんよね。笑ってごまかそうにも、割とマジで怒ってる、というよりも心配と安堵が混ざった顔で睨まれたら、こちらとしては何も言えない。自分が悪いってわかってる分、余計に反論などできるはずもなく。

「・・・ごめんなさい」
「もう、ホントに心配したんだからね?とにかく、説明しなさい!」
「はい。とはいっても、そんな深い事情はないんだよ?」

 素直に頭を下げると、渋谷さんもそれ以上怒りようがないのか、もう一度深いため息を吐いて、許してくれた。ありがとう、渋谷さん!でもこれを他の面子にもされるのかと思うとすごく面倒くさいので早々に携帯を買って連絡取らないとやばいね、色々と!
 そんな内心の打算などおくびにも出さず、ともかくも廊下のど真ん中じゃぁ積もる話もできまい、と廊下の先にある談話室へと渋谷さんを案内し、そこの自動販売機で飲み物を買ってから、液晶テレビの前に陣取って私はここに至るまでの経緯を説明した。

「簡単に言えば、卒業した日の真夜中に社長に拉致されてうやむやの内に社員契約を結ばされちゃったんだよねぇ」
「はぁ?」
「おまけにその騒動で携帯が壊れちゃって。買い替えに行く時間も中々なくって、そのままにしてたらこんなに時間が経っちゃっててさー。いやはや、時の流れはジェットスピードだね」
「そんな軽く・・・って、社長が透子をここに引き込んだの?作曲家として?」
「うんにゃ。普通に事務員として。あ、でも偶になんかそういう仕事も入ってくるなー。でも基本的には事務だし。ちなみに、日向さんと月宮さんは私がここで働いてるの知ってるよ」
「マジで?二人ともそんなこと一言も言ってなかったんだけど」
「そうなんだ?・・まぁ、ああ見えてあの人たちもかなり愉快犯なところあるから、黙ってそうだとは思ったけど」
「林檎ちゃんはともかく、日向さんまでとは思わなかったわ。やっぱりこの事務所の人間よね」
「だねー」

 どんなにまともそうに見えたとしても、所詮この事務所の人間である。毒される運命なんだな、きっと。・・・あれ、その理屈でいうと私も毒されてる?うっわ。私まだ一般人でいたいんですけど。いや、あの学校に通ってる時点ですでに手遅れ?どうなんだろう・・・。割と真剣にそのことで悩んでいると、渋谷さんはミネラルウォーターのペットボトルを傾けて、まぁでも、と笑みを浮かべた。

「元気そうでよかったわ。もしものことがあったんじゃないかって、皆本当に心配してたんだから」
「ごめんね。色々・・・本当、色々あってさ・・・」
「うん。なんとなくわかったから、皆まで言うな」

 思わず遠い目になると、渋谷さんはその間だけで諸々を察したのだろう。ぽん、と肩に手をおいて力なく首を横に振った。ふふ・・・正直今アイドル活動してる君らよりも振り回されてきたんじゃないかって思うよ。私。

「にしても、学校にいたときからそうだけど、透子マジ社長に気に入られてるわね」
「はは、遠慮したいところですな!」
「春歌とか音也たちとは別次元だとは思うけど・・・ある意味別格?あ、そうそう。春歌たちがうたプリアワードにノミネートされたって話知ってる?」
「知ってるよー。あと、なんだっけ。HE★VENS?だっけ?ってのもノミネートされてるんだよねー」
「そうそう。今もっとも注目されてるアイドルグループ。うたプリアワード最有力候補だってね」
「事務所がこの業界最大手だもんね。あ、そういえばさ。今日確かその放送があったよね」
「そういえば。そろそろじゃない?」

 そういって、腕時計に目を落とした渋谷さんに習って、テーブルの上のリモコンをいじってチャンネルを合わせる。どうせ派手な演出なんだろうなぁ、と思いながら、渋谷さんと再会の雑談を交わしつつ、うたプリアワード前哨戦が始まるのを待っていた。

「そういえばST☆RISHのところに社長たち行ってるんだけどさ、これアワードに間に合うのかね?」
「え?マジ?時間的に厳しくない?」
「放送時間に素の彼らが映ってたらどうするー?」
「笑うしかないよねー」
「だよねー!」

 いや本当、まさか全国ネットでああまで素を晒した状態で放映されるとは思ってなかったんですよ。相手側がばっちりドームで演出してるのに、明らかに「え!?何事!?」とばかりに驚いている彼らに、何も知らされてなかったんだな、と同情心が向かったのは、きっと液晶越しの彼らには届かなかったに違いない。ていうか社長もさ、一応放送日程はわかってるんだから、もっと事前に行動してあげようよ・・・。
 まぁ愛島さんの事情でギリギリまで待った結果だというのは知ってますけど。ギリギリすぎないか、というツッコミは、そっと胸の奥にしまっておいた。





 

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〔つっづきから!〕

「手首なら欲望」

 ヒノエは女の子に優しい。遙か3を知っている人間であれば当然の知識である。まぁ、もしかしたら?現実とゲームは違うから?多少の差異はあるかもしれない。もしかしたらどこぞの二次創作みたいな危ない系のヒノエが、ここでは「本当」のヒノエかもしれない。しかしながら、今まで接してきた中で、ゲームと著しく外れている様子はなかったので、おおよそゲーム通りの性格設定なのだろうと思っていた。女好きでフェミニストでそれでいて青少年。青臭い、と言えるところもあれど、やっぱり基本はカモーメにならないかい。馬鹿にしてるんじゃないです。愛故です愛故。とにかく、そんなヒノエだから、これはとても、信じられない出来事だ。
 噛みつかれた。ヒノエに。しかも手首。意味がわからない。伊達や酔狂でもない。本気と書いてマジと読む。それぐらい、めちゃめちゃ強い力で噛みつかれた。意味がわからない。痛いっていうのと、怖いっていうのと、わけわかんない、っていうのと、とりあえずごっちゃごちゃになって食い込む歯がぶつって皮膚を貫いた音がして、あ、これマジでやばいって思った。痛かった。とりあえず半端じゃないぐらい痛かった。噛み切った癖にまだ口を放さないヒノエが純粋に怖い。え?何この人?腕を引こうと思うのに、片手でやすやすと掴まれていては動けないし、食い込んだ歯のせいで引くと余計に危ないんじゃないか、と思ってしまうともう動かせない。
 怖かった。痛かった。目の前で人間の腕に歯を突き立てているヒノエは、多分私の知ってるヒノエじゃないんだって思った。こんなのヒノエじゃない。この人絶対ヒノエじゃない。ヒノエの皮をかぶった違う人だ。
 怨霊か?私これに食い殺されるの?嫌だ。怖い。誰か。助けて。

「ひ、ぅ」

 悲鳴をあげれば誰か助けてにきてくれる。ここは景時さんのお屋敷だから、大声をあげれば誰かは聞きつけてここに来てくれるはずだ。なのに、ヒノエがちらり、とこちらを上目に見上げてきた瞬間、喉の奥が引きつれて声が奥に引っ込んだ。赤い目が、すぅ、と細くなって、ヒノエの口元から赤いものがたらりと流れていく。皮膚の上を伝って、ぽたり、と床板に落ちるほど。それが血なのだと察した瞬間、目の奥が熱くなって、ヒノエは、ヒノエ、は。

「――あぁ、やっと、泣いた」
「・・・え、?」

 噛んでいた手首を解放して。まるでそれこそ目的だったのだ、というように、目尻に唇を寄せて。薄い唇を開いて、赤い舌先を伸ばして、べろり、と。まるで、動物が舐め癒すような優しい仕草で、目元を舐めあげた。生温くで湿った分厚い舌の感触が肌を這う。衝撃で更にぼろりと目尻から零れたが、それすらも綺麗に舐めとられた。
 最後にちゅ、って、唇をくっつけるいらないおまけつき。でもそれすら、頭の中が真っ白な状態である私には、反応もできないほどのただの衝撃でしかない。だって、噛まれた手首が痛い。皮膚が噛み破られて、血が出てるぐらいだ。ものすごく痛い。それをしたのが目の前の人間だ。ただ純粋に怖い。なのにいきなり、ごめんね、とでもいうように優しくキス?をしてきた。言っておくが、私とヒノエは断じてそんな仲ではない。行動がチグハグすぎる。意味が解らない、わけがわからない。怖い。不気味。痛い。
 耳元で、透子?って、名前を呼ばれて。震えた肩の意味を、彼は正確に把握したのだろうか。
 ただ、もう一度、今度は、噛みつかれた場所に。

 ごめんね、と言いながら、キスをした。




「四月。略」

 デスクの前で項垂れている日向さんを見つけたら、速やかにスルーすべし。・・・なんて、さすがに実行に移すには薄情すぎる。しかしながら、面倒事である可能性が否めない場合、躊躇する私の心情も慮ってほしい。常識人だと思わせておきながら、日向さんってば結構鬼畜というか躊躇なくいたいけな元教え子を面倒の渦中に引きずり込むのだから。案外やることが酷いってのはここに入社してからの私の経験談である。あの人確信犯だよ結構。いや、今まで一手に引き受けてきた分、分散できそうな人員を見つけたら早急に巻き込もうとしているのはわかるんだけど。私も多分同じ立場ならアリジゴクのごとく引きずりこもうとするだろうけど。
 でもほら?引きずり込まれる側としたら?足蹴にしてでも逃げたいわけで?・・・とはいっても、お世話になっているのは事実である。とりあえずコーヒーの一杯ぐらいは差し入れしてあげるべきだろう。その結果巻き込まれたとしても、うん。しょうがないって、諦めるよ・・・。できるだけ無茶な配役にならないことだけ、尽力しよう。
 そんなこんなで、給湯室はちょっとばかり遠かったので、近くの自販機でコーヒーを購入して、何か書類を前にして頬杖つき眉間にきっつい皺を刻んでいる日向さんに声をかけた。

「お疲れ様です、日向さん。コーヒー買ってきたんでよければどうぞ?」
「ん?あぁ、中村か。悪いな」
「いえいえ」

 少し冴えない顔色で、眉間の皺を解すように親指を人差し指で目頭を揉みこみ、丸めていた背中を伸ばした日向さんは本当に疲れているようだ。そういえば、今日向さんは刑事ものの連ドラの撮影があったんだっけな。そんな時期に書類を前にして苦い顔とか、果たしてどんなトラブルがあったのやら。自分用のカフェオレも購入していたので、まぁ気分転換の雑談程度に、少し離れた二人掛けのソファに腰をかけてプルタブをカチン、と音をたてて持ち上げる。それに誘われるように、日向さんも缶コーヒーのプルタブに指をかけて、カチン、と音をたてて缶を開けた。

「なんだか随分とお疲れのようですね。撮影そんなに忙しいんですか?」
「それもあるけどな・・・頭の痛い問題が山のようにあるんだよ。さしあたって、あいつらのやらかしたことへの後始末とかな」
「あいつら?」

 え?社長ではなく?日向さんからの口から出るとしては珍しい発言に首を傾げると、日向さんは無言で書類を持ち上げ、こちらに差し出した。ちょっと距離があったので、仕方なく立ち上がり日向さんの手から書類を受け取る。あんまり見たくないよなぁーと思いつつちらり、と日向さんを見るものの、彼はすでにこちらから視線を外して缶コーヒーに口をつけていた。せめてもうちょっと説明してくれたらいいのに、と思いつつ、受けとった書類に目を通して・・・私はうわぁ、とばかりに顔を顰めた。

「いつかはやらかすんじゃないかと思っていましたけど・・・やっちゃいましたね」
「やっちゃったんだよ。ったくあいつらは・・・いや、厳密に言えばあいつ、か?どっちにしろ頭が痛い・・・」
「心中お察しします」

 そうとしか言いようがない分、私は書類をそっと日向さんに返して苦笑を浮かべた。いや、うん。いつかやらかすだろうなって、薄々は感じていたよ。でもできれば杞憂であって欲しいな、と思っていたのも本心で。
 でも結局起きてしまったのだから、もうすでに後の祭りというものだ。猪突猛進というか、配慮が足りないというか・・・。

「屋上に業者のヒトが入ってたの、こういうことだったんですね」
「まぁ、四ノ宮・・・砂月、だったか?あいつが学園でやらかしてたことに比べれば極々僅かなもんだけどな」
「でもやってることは器物破損ですからねぇ。あれほど言ったのに・・・感情で動くところはまだまだ子供ですね。今度はなにに目くじら立てたんだか」
「人的被害がないだけマシと思わないとな。それに社長がしでかすことに比べりゃ微々たるもんだ」
「ダメですよ日向さん。そこ基準にしたら全てにおいて「大したこと」じゃなくなりますよ。これは由々しき問題だと考えないと。少なくともこれから売り出そうとしているアイドルが器物破損とか暴力行為なんかしては大問題になってしまいます」
 
 いや、常識的に考えてどっちもやらかしちゃダメなことなんだけどね?内輪だけで今のところ済んでいるしからいいようなものの、これが外で行われてみろ。グループだけじゃなくて会社の問題にもなり得るのだ。いやまぁ、ちゃんとそこら辺の分別はついていると思いたいんだけど・・・某野外ライブの話を聞く限り、どうにも不安が拭えないといいますか。
 とりあえず、基準そこに置いちゃいけない、と真顔で注意を促すと、日向さんははっとした顔つきで、ぺしり、と額を叩いた。

「あぁ・・・そうだったな。あの人を基準にするべきじゃねぇな」
「危ないですね。ここの常識と世間の常識は異なるんですから、そこは敏感にならないといつかものすごい見落としをしますよ?」
「肝に銘じとく」

 いや本当に、大したことないと言ってるこれも世間的にみたら大したことですからね?ここ基準で考えてたら、うっかり対処を間違えることだって有り得るのだ。そこは引き締めていかないと、今後が大分不安である。やだよ、何か問題起こして会社倒産とか。露頭に迷うのは勘弁です。

「まぁ、無難にこの器物破損の弁償代は全額ではないにしろ、ある程度四ノ宮君の給料から差っ引くべきでしょうね」
「だな。親御さんにも連絡いれるべきか・・・」
「忘れがちですけど普通に未成年ですもんね、彼ら。連絡はいれておくべきだとは思いますよ。一応金銭に関わる問題ですし。子供のしたことを親が把握してない、っていうのもどうかと思いますし」

 まぁ、事を荒立てるのはあまり気分が乗らないが、最低限の報告はしておくべきだろう。まぁ、過去を振り返って四ノ宮君ももう一人の人格について親御さんが何も知らないはずはないだろうし、まぁ、そんなに物凄く衝撃的なこと、とはならないはずだ。他人様の家庭事情まで知らないから如何ともしがたいが、成人もしていないまだ親の庇護を要する立場なのだから、多少気まずかろうと報告をしないでおくわけにはいかない。こうやって、多少なりとも問題が上がってきているのだから。言わば義務である。

「それだけ対処すればさすがにブラック四ノ宮君も自重するでしょうし。何より「那月君」の方にも迷惑がかかるんです。嫌でも自重しますよ」
「あいつらも、子供とはいえ仕事をこなすプロだからな。いつまでも内輪の我儘が通るなんて考えじゃ困る」
「それが社会人ですからね。あ、そうそう日向さん。これ、鈴木さんから預かってきた書類です」
「ん。わかった。目を通しておく」
「はい。それでは失礼します」

 とりあえず当初の目的を済ませ、話にも一段落ついたので暇乞いの挨拶をして踵を返す。おぉ、という日向さんの返事を受けつつ、飲みかけのカフェオレの缶を通り過ぎざま手に取って、カツカツと足音をたてて部屋の外に出た。
 まぁ今回はネットの破損程度だったし、壁やら床やらベンチやらが破壊されなかっただけまだマシ、と思わないといけないんだろうなぁ。でも普通そんな事態になるなんてこと早々めったにないんだろうけどなぁ。

「時々基準がわからなくなるよね、ホント」

 あー、突拍子もない人たちと接すると時々常識を見失いそうで怖いわー。ふぅ、と憂いのため息を吐いて、しみじみと、この会社にいると色々やばい気がする、と実感した瞬間であった。





〔つっづきから!〕

「おたおめ!」

「は?誕生日?」
「あら、透子ちゃんもしかして知らなかったの?」

 そういって、今日はお団子頭にしてある月宮さんがこてん、と小首を傾げてアイスティーの氷をカラコロと音をたててかき混ぜた。私は目の前にあるパスタランチの蒸し鶏とズッキーニのぺペロンチーノをフォークで巻き取りつつ、初耳です、と答えてパスタを口に運ぶ。クリーム系も嫌いじゃないんだけど、あんまりこってり系だと味に飽きるっていうか、食べきれないというか・・・やっぱり塩系というかあっさり系のじゃないとパスタってあんまり食べる気しないんだよね。そう思いつつ、鷹の爪でピリリと走る辛みに舌鼓を打ち、ごくんと喉を鳴らして嚥下した。

「もう、透子ちゃん。その調子じゃ私の誕生日も知らないでしょ?」
「・・・そういえばそうですね。ちなみにいつなんですか?」
「9月15日よ!うふふ、プレゼント期待してるわね?」
「難しいですねー。考えておきます。それにしても、そうですか。日向さん今日が誕生日だったんですね・・」

 全く知らなかったよ。興味もなかったし。そんな話題になることもほぼないっていうか、基本的に仕事のことしか話す時間がないからなぁ。いや雑談もしてるんだけど、やっぱりそんな個人情報を語るような話題運びになることがないので、私が知ることはほぼなかっただろう。
 しかし当日に知らされてもなんの準備もしてないわ。うーん・・・まぁ、日向さんも今更期待するような年でもなし、別に何もしなくても問題はない気はする。どうせ他のところで祝われているだろうし、ファンからもプレゼント貰ってるだろうし、何より可愛い教え子兼後輩たちが祝ってくれてそうだし。それで十分じゃね?え?私もそこに含まれるだろって?・・・そもそも20も過ぎはじめると誕生日を嬉しがる気持ちも薄れていくし・・・あれだよね。年とったなぁ、って気がするだけだよね。・・・まぁ、でも、生きているということは、とても、素晴らしいことだ。

「・・・知ったからには多少は何かしないと気持ち悪いですね」
「でしょでしょ。まぁ、知らなかったってのは予想外だったけど・・・てっきり透子ちゃんも何かしら用意してるものだとばかり思ってたわ」
「自慢じゃないですけど、私教えられない限り他人の誕生日なんてわざわざ聞きませんよ?」
「つまり透子ちゃんには自己申告しない限り祝ってもらえないわけね・・・」
「会話の流れってものもありますけど、まぁ概ね。さて、それにしても困りましたね。今更何用意すればいいのやら」

 圧倒的に時間がないよね。昼休みだってそんなにあるわけじゃないし・・・かといって仕事終わりにお店なんてそんなに開いてないし・・・。おぉ、手詰まり感が半端ない。困ったな、と首を傾げてジンジャーエールに手を伸ばすと、月宮さんはそうねぇ、と呟いてつんつんとグリーンサラダをフォークの先で突っつき、レタスにぷっすりと突き刺すと、もぐ、と口に運んだ。

「・・・実をいうと、透子ちゃんも準備してるって思って、今晩龍也と会う約束しちゃってるのよねー」
「えぇ、本当ですか?」

 なんたること!私マジ何も用意してませんよ?そしてこれから用意するにしても中々難しいですよ?
 突然の予定に目を見開くと、月宮さんはテヘペロォ、とばかりに舌を出してウインクをかましてきた。似合ってるけどそこはかとなくいらっとします。てか予定を告げるのも突然すぎるし!そういうのはもうちょっと事前に言っておくべきだと!事前のホウレンソウは大事ですよ!?

「今日は仕事が終わる時間帯的に、お店は開いてないから龍也の部屋で飲み会する予定だったのよね。それで、透子ちゃんも呼んでご飯とか作ってもらおうかなーとか思ってて」
「だからそういう予定に人を組み込むときは事前に連絡をくださいよ。・・・あー・・じゃーもうあれですね。私のプレゼントそれにしますよ。ご飯。とケーキ・・・はなんかどこかの撮影で貰ってそうですからいらないでしょうね」
「え。やだ。私食べたい!」
「いやこれ日向さんのですから。月宮さんのじゃないですから」

 あなたの要望聞いてどうするんですか。多少の呆れをにじませながら、私は少しペースをあげてパスタを口に運ぶ。ふむ。と、なるとご飯もちょっと豪華にするべきか。飲み会ってぐらいだから、お酒に合うように考えて・・・まぁ今日はお仕事が遅いようだから、多少こっちも遅れても十分時間的には間に合うだろう。

「・・・日向さんはちゃんと知ってるんですよね?」
「サプライズの予定だから何にも言ってないのー。まぁあっちもある程度予想はしてると思うんだけどね。だから、これ」
「・・・はい?」

 月宮さんが差し出した手に首を傾げると、ちゃらり、と音をたてて月宮さんの手から銀色の鍵がキーホルダーにぶらさがって揺れていた。

「これ、龍也の部屋の合鍵。多分透子ちゃんの方が私よりも終わるの早いと思うのよね。だから、先に龍也の部屋で準備してて?」
「・・・月宮さんならともかく、私が入っていいんですかねぇ?」
「透子ちゃんだもの。問題ないない。よろしくねん?」

 ものすごい軽い調子で言ってくれるが、これは月宮さんの部屋ではなく日向さんの部屋なんだが・・・。まぁ、知らぬ仲でもなし。間に月宮さんがいるならそう問題になることもないか・・。しばし考え、納得すると私は鍵を受け取り、そっと鞄の中にしまいこんだ。鍵、返すの忘れないようにしなくちゃなぁ。
 つらつらと考えながら、パスタの最後の一口を口に放り込み、ごくりと飲み込んだ。




〔つっづきから!〕

「それは私の専門外です」

「プロモーションビデオ、ですか」
「そ。次の新曲のPV撮影があるのよー。それが原案ね」
「へぇ、初めてみます、こういうの」

 ニコニコと笑いながら差し出された用紙を受け取り、好奇心でアニメの絵コンテのような四角い枠の中が縦に並ぶ用紙を眺めて、へぇ、と感嘆の声を零した。コマ割りで、どういう風に撮っていくか、アングル、ストーリー、そういったものが書き連ねられたそれは原案というか、演出案というか、まぁとにかくも世間一般であまり見られないものであることは間違いない。なるほど、こういうところに勤めているとこんな裏方も見ることがあるんだな。いや、滅多にないだろうけど、というかいいのか?できる上がる前のをこっちに見せて。
 僅かな疑問が頭をもたげたものの、見せてくれるんだからいっか、と軽い気持ちで何枚にも重なるそれをぺらぺらと捲り、ふぅん、と息を漏らした。

「・・・今回の曲のイメージってゴシックでしたっけ」
「違うわよ、今回のテーマは息吹。命を吹き込むってこと」
「あぁ、だから人形が動き出すんですね。その割には大分アクションが多いですけど」
「生きるってことは闘うことじゃない?命を吹き込まれた人形が、闘ってその命を確立していく、ってイメージしてるんだと思うけど」
「なるほど」

 最初は、歌い始める月宮さん。それから、ガラスケースの中の人形に、月宮さんがキスをする。そうして命を吹き込まれた人形が目覚めて、闘いの世界に身を投じていく。随所にもちろん月宮さんは出ているし、傷ついた人形を癒すように傍にいるシーンもある。なるほど、生きることは闘うこと。生きてさえいなければ、傷つくこともないだろう人形が、命を吹き込まれたことで生きる(闘う)ことを知っていく。
 中々に深い内容のストーリーだ。なんかアニメにできそう、というのはそういう脳みそだからの思考だろうか。ぺらぺらと捲った冊子を見終わると、月宮さんに返しながら、私はそれで?と首を傾げた。いや、見せてもらえたのは嬉しいけど、なんでこれ私に見せたの?なに?ただこういうのがあるんだよって教えてくれただけ?不思議に思いながら背丈の問題上、どうしても上目使いになりながら月宮さんの(見た目に寄らず結構身長あるんだよね、この人)顔を見上げれば、月宮さんはコンテを受け取りにこ、と目を細めて口角を持ち上げた。

「それでね、透子ちゃん。これに出て見ない?」
「は?」

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。目上の方に失礼だとは思ったが、思いっきり素の状態で聞き返せば、さして不快に思った様子もなく、月宮さんはうふふ、と悪戯っぽく目を細め、片頬を手のひらで包み、こてん、と小首を傾げた。

「実はもうシャイニーには許可貰ってるのよー。このね、PVの人形役で、透子ちゃん出てくれないかしら?」
「あれ?すでにいい方がなんだかさっきと違う・・て、え?人形?・・これ、本物の人形をCGか何かで動かすんじゃないんですか?」
「最初はそうだったんだけどね。でも、やっぱり生きて闘うとしたら、アクションシーンは人間で、ってことになって。それなら、人形のフリをして最初からした方が臨場感が出るじゃない?」
「えぇー・・・それなら普通に俳優さんなり女優さんなり子役なり使ってくださいよ。私事務員なんで、演技とか無理ですって。こっちも色々仕事抱えてますし」

 無理無理無理。やだ。やりたくない。気持ちもそうだが、今はそんなものに出ている余裕などないのだ。即答でお断りの返事を返して、眉を潜めると月宮さんはパン、と両手を合わせてお願い!とぎゅっと固く目を閉じた。

「人形だから、できるだけ小柄な子がいいんだけど、子役の子だとアクションシーンが迫力に欠けちゃうの!かといって、大人を使っても人形っぽさが薄れるでしょ?適度な体格で尚且つ演技も、って考えると、中々適任がいないのよー!」
「探せばいますよ、きっと」

 割と投げやりに返答を返すも、月宮さんは諦め悪く食いついてくる。お願いお願いお願い、とか縋り付かれても困るんだが・・・純粋に、やりたくないんですそういうの。

「・・・それこそ後任の子抜粋しましょうよ。小柄といえば来栖君がいますし、えぇと、美風さんでしたっけ。あの人も人形っぽいじゃないですか。ぴったりですよなんとなく」

 美風さん、写真で見るだけだけでも異常なほど左右対称的な顔すぎて、まじ人形っぽいんだよね。表情も乏しいらしいから、人形でいうならぴったりなんじゃないか?てかやっぱり顔面的な意味でも、後輩アイドルを使うべきだと思う。私と彼らの顔面レベルを考えてくれ、いくら化粧で誤魔化せるとはいえ、元々の素材の違いは大きいぞ。

「翔ちゃんじゃ人形っぽくないのよ!藍ちゃんは逆に人形っぽすぎて、合わないし!透子ちゃんならできるから!今こそ隠れたその運動能力と演技力を使うべきよ!」

 運動能力はともかく演技力などありませんが?何をどうみてその結論に辿り着いたいのか。意味がわからない、そう思いながら、おーねーがーいー!と裾を掴んでぐいぐいと引っ張る月宮さんに、私は深いため息を零した。

「服伸びるんで放してください」
「放したら出てくれる?」
「それとこれとは別問題です」
「ケチ!」
「ケチじゃないですよ真っ当な要求ですよ。・・・もう、本当に、私そういうの出たくないですし、向いてませんし。他当たってください」

 つか、素人使おうとしないでくれよ。マジで。ぶぅぶぅと文句を言う月宮さんから顔をそらして、袖をめくって腕時計を見下ろす。・・・片づけないといけない仕事があるんだよなぁ。そろそろ自分のデスクに戻りたいなぁ、と思いながら、ぎらぎらと獲物を狙うハイエナのごとくぎらつく眼差しの月宮さんをちらりと見て、私はもう一度、ため息を吐いた。・・・どうしましょうかね、全くもう。




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